後期の生涯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 05:22 UTC 版)
2冊の本を出した後、ルルフォは、実質的に物語体のフィクションの執筆を辞めたものの、メキシコ文学界の主要人物であることに変わりはなかった。1956年から、映画およびテレビの脚本を書き始めた。ルルフォが原案で、カルロス・フエンテスとガブリエル・ガルシア=マルケスが脚本を担当したメキシコ映画『El gallo de oro(黄金の軍鶏)』はそのなかでも最も有名な作品である。また、ガルシア=マルケス原作の『En este pueblo no hay ladrones(この村に泥棒はいない)』では(ガルシア=マルケスと一緒に)役者として出演もしている。 生前に出版したものは僅かだったが、ルルフォは優れた写真家でもあった。1960年にはグアダラハラで作品を展示している。しかし、それ以降は、1980年にルルフォの名声が高まって、ベジャス・アルテス宮殿で作品が展示されるまでなかった。現在、ルルフォ財団によって世界中で展示されたルルフォの写真の本が多数ある。さらに、1962年から亡くなる年まで、ルルフォはメキシコの政府機関INI(国立先住民局、Instituto Nacional Indigenista)出版部のディレクターならびに編集長を勤めた。ルルフォの下でINIは当時のメキシコ先住民コミュニティの生活を記録した写真集のシリーズを出版した。 1960年代にルルフォはハリスコ州でのクリステロス反乱を扱った『La cordillera(山脈)』というタイトルの2冊めの長編小説を書いていると語ったが、それは出版されることも誰かに見せることもなく破棄された。少数のパッセージと全体のアウトラインだけが、死後出版されたルルフォのノートブックのなかに残っている。 1970年、ルルフォはメキシコ国民文学賞を受賞した。1980年には、メキシコ言語アカデミア(Academia Mexicana de la Lengua)会員に選ばれ、ベジャス・アルテス宮殿で讃えられた。1983年には、文学に対する貢献でアストゥリアス皇太子賞(Premios Príncipe de Asturias)を受賞した。 ヘビースモーカーだったルルフォは1986年、メキシコシティで肺癌で亡くなった。68歳。息子で映画監督のフアン・カルロス・ルルフォ(Juan Carlos Rulfo, 1964年 - )は1999年、亡き父親の思い出に映画『Del olvido al no me acuerdo』を捧げた。
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