後期の詩とは? わかりやすく解説

後期の詩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 21:32 UTC 版)

ジョン・ダン」の記事における「後期の詩」の解説

ダンの後期の詩には、たくさんの病気経済的な貧窮友人たちの死のすべてが、陰鬱敬虔なトーン与えている。その変化ダンパトロンだったサー・ロバート・ドルアリーの娘エリザベス・ドルアリーの思い出捧げた詩『この世解剖』(1611年)の中にはっきりと見られる。この詩はエリザベスの死を人間堕落宇宙滅亡シンボルとして使い、その死を大きく嘆いている。 『一年で最も短い聖ルーシーの日の夜想曲(A Nocturnal upon S. Lucy's Day, being the shortest day)』という詩は、愛する者を失ったダン絶望歌ったのであるその中でダンは、自分死んでいる、不在暗闇・死からる、と否定絶望表している。この有名な詩はおそらく1627年友人であるベッドフォード伯爵夫人ルーシーおよび娘のルーシー二人死んだ時に書かれたものであろう興味深いのは3年後1630年ダンが聖ルーシーの日(12月13日)に自分遺言書いたことである。 ダン憂鬱なトーン増していくことは、同じ頃からダン書き始めた宗教的作品中にも窺える懐疑論的だったダン初期の信仰はこの時期従来聖書教えてきた確かな信仰変わっていた。アングリカン・コミュニオン改宗してから、ダンはその文学活動宗教的なものに専念させた。そしてたちまち、深く心を揺さぶる説教宗教詩でダン高名になった具体的にアーネスト・ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』やトマス・マートン英語版)の『No Man is an Island』のタイトルはそうした説教一節から取られている。 人生最期向かってダン死に挑む詩を書いた。それは、死んだ者は永遠に生きるために天国送られるというダン信仰基づいたのである。その一例が、「死よ驕るなかれ(Death, be not proud)」の一節知られる聖なるソネット10番』である。1631年四旬節の期間中死の床にあった時でさえ、ダン病床から起きて、『死の決闘』の説教行い、それは後に彼自身葬式説教使われた。『死の決闘』は人生苦しみ死に向かう定めとし、神、キリスト復活受け入れることを通して救済不死中に希望見いだすのである

※この「後期の詩」の解説は、「ジョン・ダン」の解説の一部です。
「後期の詩」を含む「ジョン・ダン」の記事については、「ジョン・ダン」の概要を参照ください。

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