後期の音楽活動とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 後期の音楽活動の意味・解説 

後期の音楽活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 08:07 UTC 版)

オリヴィエ・メシアン」の記事における「後期の音楽活動」の解説

メシアン音楽に関して批判大きかったが、徐々に広く認められるようになった1959年にはレジオン・ドヌール勲章オフィシエ受賞1987年にはグラン・クロワ受賞している。1967年末にはフランス学士院芸術アカデミー会員選ばれた。文化相のアンドレ・マルロー首相大統領就任するポンピドゥーシラクメシアン支持者だった。 1962年には日本訪問して大歓迎され、日本鳥の歌印象をもとに『7つの俳諧』を作曲した。『天の都市の色彩』では久しぶりキリスト教的な主題立ち戻りその後の『われ死者の復活を待ち望む』と『我らの主イエス・キリストの変容』という大作がこれに続いた。またオルガン曲聖なる三位一体の神秘への瞑想』、『鳥のカタログ』の続編にあたるピアノ曲ニワムシクイ』も作曲されたが、この頃メシアン作品巨大な作品になることが常態化し、作曲にかかる期間も長くなっていった1970年代にはユタ州の自然を題材にした『峡谷から星たちへ…』と、唯一のオペラ作品である『アッシジの聖フランチェスコ』の2つ大曲書かれたが、後者作曲には1983年でかかった1978年70歳になったメシアンパリ音楽院退官した。 1984年以降作曲勢い落ちて小曲増え過去作回顧的性格増大するが、没するまでにオルガン曲集『聖体秘蹟の書』、ピアノ曲鳥の小スケッチ』、管弦楽小曲ステンドグラスと鳥たち』・『天より来たりし都』・『ほほえみ』を作曲・初演している。1985年には京都賞受賞した。癌のため1992年4月27日没し、ペティシェの別荘に近いサン・テオフレ(英語版)に埋葬された。墓石の形をしていて、『ハラウィ』の楽譜刻まれている。完成した最後作品になった彼方の閃光…』は没後初演された。『四重奏と管弦楽のためのコンセール』は4つの楽章未完成残され補作の上1994年初演された。

※この「後期の音楽活動」の解説は、「オリヴィエ・メシアン」の解説の一部です。
「後期の音楽活動」を含む「オリヴィエ・メシアン」の記事については、「オリヴィエ・メシアン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「後期の音楽活動」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「後期の音楽活動」の関連用語

後期の音楽活動のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



後期の音楽活動のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのオリヴィエ・メシアン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS