後期の爆弾事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 02:49 UTC 版)
「セオドア・カジンスキー」の記事における「後期の爆弾事件」の解説
最初に重傷を負ったのは1985年に被害にあったジョン・ハウザーだった。彼は大学院生であり同時にアメリカ空軍の大尉だったが、4本の指を失い、片方の目を失明した。この爆弾も、いつものように、木でできた手製の部品を組み合わせて作られていた。 カリフォルニア州サクラメント在住でPCショップを経営する38歳のヒュー・スクラットンは、1985年に自分の店の駐車場に置かれた、釘と金属片の詰まった爆弾によって命を落とした。同じようなPCショップに対する攻撃は、1987年2月20日にユタ州のソルトレイクシティでも起こった。爆弾は木材のように偽装されており、駐車場からそれをどけようとしたゲイリー・ライトが怪我を負った。彼は爆発によって左腕の神経を損傷し、身体に200個以上もの金属片を浴びた。 前回の事件から6年後の1993年、カジンスキーはイエール大学で計算機科学を教えるディヴィッド・ゲランター教授の自宅に爆弾を郵送した。彼は重傷を負ったが、一命をとりとめている。同じ週に、カジンスキーは、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のチャールズ・エプスタインの自宅にも爆弾を送り付け、開封してしまったエプスタインの指を何本か吹き飛ばしている。このときカジンスキーはゲランターの兄弟である行動遺伝学者のジョエル・ゲランターに電話をかけて「次はお前だ」と告げた。マサチューセッツ工科大学の遺伝学者フィリップ・シャープもこの2年後に脅迫の手紙を受け取っている。 1994年、広告代理店バーソン・マーステラ役員のトーマス・モーザーがニュージャージー州ノース・コードウェルの自宅に送られた郵便爆弾を爆発させて死亡した。ニューヨーク・タイムズ紙に送った手紙の中でカジンスキーは「トーマス・モーザーを吹っ飛ばしたのは...エクソンが原油流出事故を起こした後にそのパブリックイメージを払拭するためバーソン・マーステラが手を貸したから」だが、さらに重要なのは「この会社が世間の意見を操る技術を磨くのを事業としているからだ」と述べた。そして続く1995年には材木業界のロビー団体カリフォルニア森林組合の理事長だったギルバート・ブレント・マレーが殺されている。彼の命を奪った郵便爆弾は、当時すでに辞任していた元理事長のウィリアム・デニスン宛のものだった。
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