後期の活動:1977年 - 1979年
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「ウイングス」の記事における「後期の活動:1977年 - 1979年」の解説
長期間のツアーを終えたあと、レインはソロ・アルバムの制作、マカロックは他のグループに参加するなど、メンバーはそれぞれ各自の活動に入った。そのあいだ暫く活動が休止していたウイングスだが、1977年になると再びポールは新作の制作に取り掛かる。レコーディングは同年の2月にロンドンのアビイ・ロード・スタジオで開始され、5月からはヴァージン諸島に拠点を移して行われたが、帰英後にマカロックとイングリッシュが脱退し、ウイングスのメンバーは再び3人だけになってしまった。また、同時期にリンダは妊娠したため、アルバムは最終的にポールとレインの2人によって仕上げられている。 リンダが産休に入っていた期間にウイングス名義でリリースされた唯一のレコードが、ポールとレインの共作によるスコティッシュ・ワルツ「夢の旅人」である。11月に「ガールズ・スクール」との両A面扱いで発売されたこのシングルは、アメリカでは最高位33位とふるわなかったものの、イギリスでは9週連続1位を獲得する大ヒットとなった。この曲はポールにとって初となる全英シングルチャート1位獲得作品となっただけでなく、当時ビートルズの「シー・ラヴズ・ユー」が持っていた英国におけるシングルの最多売上枚数記録を更新し、最終的に200万枚以上を売り上げた。 1978年に「夢の旅人」などと同時期に録音された楽曲も含め、アルバム『ロンドン・タウン』がリリースされた。このアルバムからは「しあわせの予感」が全米1位、全英5位とヒットしている。またタイトル曲にもなっている「たそがれのロンドン・タウン」を中心にレインとの共作が5曲あり、全体的にレインの影響を伺わせている。アルバム・チャートではイギリスで4位、アメリカで6週連続2位と、『レッド・ローズ・スピードウェイ』から続いていた連続第1位獲得を果たせなかった。 その後、ドラムのスティーヴ・ホリーとギターのローレンス・ジューバーが参加。再びウイングスは5人編成となる。 1979年に入ると、クリス・トーマスをプロデューサーに迎え、新たなアルバム『バック・トゥ・ジ・エッグ』の制作にとりかかる。本作はシングルのみで発売された「グッドナイト・トゥナイト」など、当時の流行であったディスコミュージックの影響を受けている。またハンク・マーヴィンピート・タウンゼントやジョン・ボーナム、ジョン・ポール・ジョーンズ、デヴィッド・ギルモアをはじめとする多数の大物ミュージシャンとともに「ロケストラ」と名付けられた豪華なセッションを行ったり、殆どの収録曲でプロモーション・クリップを撮影したりと、ポールはこのアルバムの制作にかなりの意欲をもって臨んでいたが、アルバムのチャート順位は全米8位、全英6位だった。 この新作アルバムを引っ提げて行われたイギリスでのツアーを終えたウイングスは、その年の暮れの12月26日から29日にかけて行われたユニセフ主催のチャリティ・コンサート「カンボジア難民救済コンサート」の最終日に出演。彼等はこのライブでアルバム内で繰り拡げられたセッション(ロケストラ)を再現し、クイーンやザ・クラッシュ、エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズなどが参加した豪華なコンサートのトリを飾った。しかし、このパフォーマンスが、ウイングスにとって最後のライブ活動となってしまった。
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