強制収容所移送者記録名簿とは? わかりやすく解説

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強制収容所移送者記録名簿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:16 UTC 版)

セルジュ・クラルスフェルト」の記事における「強制収容所移送者記録名簿」の解説

この間セルジュ・クラルスフェルトは、『フランスから強制移送されユダヤ人記録名簿 (Mémorial de la déportation des Juifs de France)』を作成出版した (1978年)。これは強制収容所移送されユダヤ人76千人列車ごとに分類した名簿であり、ケルン裁判で最も重要な証拠とされた。クラルスフェルトはさらに1994年まで犠牲になったユダヤ人の子1万1千人氏名生年月日国籍などの情報写真探して調査続けた2012年にはその後身元判明したユダヤ人名簿加えた増補版が出版された(1冊の重さは7キロ)。 なお、ナチス・ドイツ占領下の生活を描いたノーベル文学賞受賞作家パトリック・モディアノが『1941年パリ尋ね人』(原題主人公ユダヤ人少女の名前からドラ・ブリュデール (Dora Bruder); 1997年出版)を書くきっかけになったのがこの『フランスから強制移送されユダヤ人記録名簿』であり、実際、クラルスフェルトから直接ドラに関する情報入手している。『記録名簿』に衝撃受けたモディアノは『リベラシオン』紙に掲載され記事で、「文学生み出す主要な原動力はしばし記憶なのだ。だから書かねばならなかった唯一の本はセルジュ・クラルスフェルト書いたようなこの種の『記録名簿』であるように私には思えた。私はセルジュ・クラルスフェルト示してくれた規範従おうとした。何日何日もこの『記録名簿』をひもときながら、私は一人ひとりの人生に関するなにか補足的な事実住所、どんな些細な情報でもよいから見つけよう試みた」と語っている。 クラルスフェルトはその後フランスでは特に1944年7月ユダヤ人一斉検挙一環として子供たち名簿作成検挙主導したアロイス・ブルンナー調査行いシリア亡命したことが判明すると、ベアテと共に度々シリア渡り住所突き止め、いったんは連絡を取ることができたが、シリア国外追放された。フランス政府ドイツ政府はこの情報基づいてシリア政府ブルンナー引き渡し要求したが、身柄拘束には至らなかった。 2001年、クラルスフェルトが収集した膨大な資料写真、これに基づいて作成され年譜解説をまとめたものが、『フランスショア (La Shoah en France)』全4巻として出版された(子供たちの『記録名簿』は第4巻所収)。

※この「強制収容所移送者記録名簿」の解説は、「セルジュ・クラルスフェルト」の解説の一部です。
「強制収容所移送者記録名簿」を含む「セルジュ・クラルスフェルト」の記事については、「セルジュ・クラルスフェルト」の概要を参照ください。

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