強制収容所移送者記録名簿
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「セルジュ・クラルスフェルト」の記事における「強制収容所移送者記録名簿」の解説
この間、セルジュ・クラルスフェルトは、『フランスから強制移送されたユダヤ人の記録名簿 (Mémorial de la déportation des Juifs de France)』を作成・出版した (1978年)。これは強制収容所に移送されたユダヤ人7万6千人を列車ごとに分類した名簿であり、ケルン裁判で最も重要な証拠とされた。クラルスフェルトはさらに1994年まで犠牲になったユダヤ人の子供1万1千人の氏名、生年月日、国籍などの情報や写真を探して調査を続けた。2012年にはその後身元が判明したユダヤ人の名簿を加えた増補版が出版された(1冊の重さは7キロ)。 なお、ナチス・ドイツ占領下の生活を描いたノーベル文学賞受賞作家パトリック・モディアノが『1941年。パリの尋ね人』(原題は主人公のユダヤ人少女の名前からドラ・ブリュデール (Dora Bruder); 1997年出版)を書くきっかけになったのがこの『フランスから強制移送されたユダヤ人の記録名簿』であり、実際、クラルスフェルトから直接ドラに関する情報を入手している。『記録名簿』に衝撃を受けたモディアノは『リベラシオン』紙に掲載された記事で、「文学を生み出す主要な原動力はしばしば記憶なのだ。だから書かねばならなかった唯一の本はセルジュ・クラルスフェルトが書いたようなこの種の『記録名簿』であるように私には思えた。私はセルジュ・クラルスフェルトが示してくれた規範に従おうとした。何日も何日もこの『記録名簿』をひもときながら、私は一人ひとりの人生に関するなにか補足的な事実、住所、どんな些細な情報でもよいから見つけようと試みた」と語っている。 クラルスフェルトはその後、フランスでは特に1944年7月のユダヤ人一斉検挙の一環として子供たちの名簿作成・検挙を主導したアロイス・ブルンナーの調査を行い、シリアに亡命したことが判明すると、ベアテと共に度々シリアに渡り、住所を突き止め、いったんは連絡を取ることができたが、シリア国外に追放された。フランス政府とドイツ政府はこの情報に基づいてシリア政府にブルンナー引き渡しを要求したが、身柄拘束には至らなかった。 2001年、クラルスフェルトが収集した膨大な資料や写真、これに基づいて作成された年譜や解説をまとめたものが、『フランスのショア (La Shoah en France)』全4巻として出版された(子供たちの『記録名簿』は第4巻に所収)。
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