強制収容所創設の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:13 UTC 版)
「強制収容所 (ナチス)」の記事における「強制収容所創設の背景」の解説
1932年にヴァイマル憲法下のドイツで行われた二度の国会選挙で、第一党を確保した国家社会主義ドイツ労働者党(以下ナチ党)の党首アドルフ・ヒトラーは、1933年1月30日にパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領よりドイツ国首相に任命された。 ヒトラー首相は、首相に就任するやただちに反ナチ党勢力の弾圧に乗り出した。1933年2月4日には早くもヒンデンブルク大統領に「ドイツ民族保護のための大統領令」を出させて、ヴァイマル憲法によって認められていた言論の自由や政治集会の自由などの国民の権利をいくつか停止し、反ナチ党的言論の取り締まりを開始した。 続いて国会議事堂放火事件後の1933年2月28日に「ドイツ国民と国家を保護するための大統領令」を出させて、国民の権利停止の範囲を拡大し、人身の自由や私有財産権などの国民の権利を停止させた。またこの大統領緊急令に「公共秩序を害する違法行為は強制労働をもって処する」という条文が出てくる。「強制収容所(Konzentrationslager)」という言葉や「保護拘禁(Schutzhaft)」という言葉は出てこないが、この大統領緊急令が反ナチ党勢力を保護拘禁して強制収容所へ送り込む法的根拠となった。ちなみにこの大統領緊急令はヴァイマル憲法48条が非常時には憲法を停止することを認めていたことに準拠していた。 ドイツ共産党とドイツ社会民主党は反ナチ党勢力の代表格であり、「ナチ党にとっては」真っ先に弾圧すべき者たちであった。しかし彼らを「犯罪者」として刑務所に投獄するには裁判で有罪判決を下す必要がある。裁判では不確実なうえに時間がかかる。そこで「犯罪者」ではなく「潜在的な危険分子」として保護拘禁して強制収容所に収容することとしたのである。
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