廃止後の所掌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 07:59 UTC 版)
内務省が担っていた業務は、以下の省庁がそれぞれ所掌した。 大臣官房、地方局 内事局官房自治課、官房職制課、地方財政委員会事務局 → 総理庁官房自治課、地方財政委員会事務局、全国選挙管理委員会事務局 → 地方自治庁 → 自治庁 → 自治省 → 総務省 警保局 内事局第一局 → 国家地方警察本部 → 警察庁 警保局検閲課 文部省社会教育局文化課 → 文部省社会教育局著作権課 → 文部省文化局 → 文化庁 国土局、調査局総務課及び第一課 建設院 → 建設省 → 国土交通省 調査局第三課、第四課 内事局第二局 → 法務庁特別審査局 → 法務府特別審査局 → 公安調査庁 衛生局、社会局 厚生省 → 厚生省、労働省 → 厚生労働省 神祇院 神社本庁(宗教法人法に基づく文部科学大臣所轄の包括宗教法人) 現在、これらの省庁の中でも、総務省・警察庁・国土交通省・厚生労働省を指して「旧内務省系官庁」と呼ぶことが多い。内閣官房副長官(事務担当)、宮内庁長官にはこれら旧内務省系官庁の出身者が就任することが多い。 内務省の解体・廃止によって、旧内務官僚たちは上記の旧内務省系官庁に分散することになったが、再統合を目指す様々な案が浮上した1960年代初頭まで、旧内務省系官庁が人事などで相互に助け合う事例が度々見られた。 例えば、内務省の解体・廃止後の1948年(昭和23年)に内事局の官房自治課長を務めていた小林與三次が、GHQから公職追放の対象としてにらまれた際に、旧内務省国土局の後身である建設省に一時的に「退避」している。GHQによる占領統治が終るまでの間、小林は建設省の文書課長という枢要なポストを務めており、その後、1952年(昭和27年)8月に自治庁行政部長として返り咲いている。 総理府官房自治課と地方財政委員会が統合されて1949年(昭和24年)に地方自治庁が設立されると、旧内務省地方局系の自治官僚は、旧内務省警保局系の国家地方警察本部のキャリア官僚の採用を事実上代行してサポートしていた。内務省の解体・廃止後、国家地方警察と自治体警察に細分化された日本の警察機構は権威がガタ落ちし、学生からの人気が急落していたからである。そのため、東京大学法学部の出身者は皆無というありさまであった。国家地方警察本部はその対策として、地方自治庁から東京大学法学部出身のキャリア官僚を採用し、まもなく国家地方警察本部に配置換えをすることでキャリア官僚を補っていた。 この慣習は、1954年(昭和29年)の警察庁の設立により警察機構の再中央集権化が達成され、警察官僚の権威と人気が回復し、自前で優秀な学生を確保できるようになるまで続いた。旧内務省系官庁間の人事異動は局長レベルでは珍しくなったが、それは現在も続いている。
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