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広沢一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/18 00:21 UTC 版)

広沢 一郎
ひろさわ いちろう
選挙演説を執り行う広沢一郎
生年月日 (1963-12-27) 1963年12月27日(61歳)
出生地 日本 愛知県名古屋市瑞穂区
出身校 慶應義塾大学経済学部
前職 ブラザー工業従業員
伊藤忠商事従業員
ITベンチャー企業役員
キングソフト代表取締役
所属政党 減税日本→)
日本維新の会/減税日本→)
(減税日本→)
日本保守党/減税日本
称号 学士(経済学)
公式サイト 広沢一郎ホームページ
第36代 名古屋市長
当選回数 1回
在任期間 2024年11月25日 - 現職
選挙区 瑞穂区選挙区
当選回数 1回
在任期間 2011年 - 2014年
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広沢 一郎(ひろさわ いちろう、戸籍名:廣澤 一郎[1][2]1963年昭和38年〉12月27日 - )は、日本政治家実業家名古屋市長(第36代)。減税日本代表代行。

キングソフト代表取締役、愛知県議会議員(1期)、名古屋市副市長、減税日本幹事長兼選挙対策委員長、日本保守党事務局次長を歴任。

来歴

愛知県名古屋市瑞穂区生まれ。名古屋市立陽明小学校名古屋市立汐路中学校愛知県立瑞陵高等学校卒業。1986年慶應義塾大学経済学部卒業。

大学卒業後は瑞穂区のブラザー工業に勤務し、同社が1986年より展開するパソコンソフト販売チャネル(自動販売機)の「ソフトベンダーTAKERU」事業に1989年より携わる。1994年、TAKERU事業が子会社であるエクシングに譲渡されたことで同社に出向[3]。TAKERUが1997年2月に展開を終了するまで、営業を担当した。

TAKERUは展開当初は「販売するソフトが少ない」という問題を抱えていたが、メーカー製のパッケージ版の旧作を安価に販売する「名作文庫シリーズ」や、パッケージ版では展開しづらいMSXX68000などマイナーハードへの移植版などをプロデュースし、息の長いシステムに育てた。大手メーカーは自社の主力ソフトを自社で販売したがり、TAKERUでの販売を嫌がったため、広沢は『ソーサリアン』追加シナリオ集のようなニッチなソフトや、無名メーカー製ソフトのプロデュースに注力し、中でも『宝魔ハンターライム』(サイレンス)はTAKERUから始まりコンシューマやOVAにまで展開される大ヒット作となった。MSX版『ソーサリアン』も大ヒットとなり、2016年11月にブラザー工業が開催したTAKERUの30周年イベント「今蘇るソフトベンダーTAKERU伝説」でも、元TAKERU運営チームの広沢が元『MSX・FAN』誌の北根編集長とともに登壇し、その功績が讃えられた[4]。移植版は基本ベタ移植だったが、1990年代中ごろにもなるとPC-98以外のハードではそもそも市販されるソフト自体が少なくなっていたので、特にMSXユーザーには有難がられた(この時期のMSXユーザーは『MSX・FAN』の付録ディスクとTAKERUだけが命綱だった)。移植版は、メーカーにライセンスを依頼し、ブラザー工業側で移植を行う形で、メーカー側としては開発費も何もかからず楽だったが、開発の人手が足りず、ブラザーの下請けとして移植を担当した現場は大変だったらしい。『ソーサリアン』を皮切りに『スーパー上海』『ブライ』とMSXで怒涛のソフトウェア攻勢を仕掛けたブラザー工業イメージ事業開発室SV事業グループ(ソフトベンダーTAKERUを扱っている部署)の広沢チーフは、『プリンセスメーカー』や『シムシティ』も可能ならやりたいと『MSX・FAN』誌で語っていたが[5]、「全MSXユーザーが」[6]注目したMSX版『シムシティ』は結局出なかった。(なお、市長になるゲームはプロデュースできなかったものの、後に本当に市長になる)

1993年頃よりTAKERUを通じて同人ソフトのプロデュースを手掛けた。それまで秋葉原のショップか即売会での頒布がメインだった同人ソフトを商業ベースに乗せたのは広沢の功績で、メジャーなソフトになると月に数万どころか数十万も売り上げることもあったという。同人ソフトをTAKERUで販売する際は、ソフトをエクシング営業の広沢に送付し、多い時には週に100本ほど広沢が審査して、合格したものを販売するという形式だった。隔月刊の情報誌「TAKERU PRESS」では、燃える同人担当ファイヤー広沢[7]として同人ソフト業界を盛り上げた。同人ゲームだけでなく、『Imagical Musion Depot(ミューデポ)』などの同人音楽集や同人CG集も手掛けた。

1997年、TAKERU事業終了。事業終了時点で黒字だったという。同年、TAKERUの取引先の一つだった伊藤忠商事に誘われ、伊藤忠商事に入社。当時の伊藤忠商事のコンテンツ部門である宇宙情報マルチメディアカンパニーコンテンツ事業部で、プレステ用ソフト『メビウスリンク3D』(アイマジック)などを手掛けたが、1998年に退職。なお、伊藤忠商事でゲームの営業・プロデュースを担当した広沢が1年で辞めてしまったので、伊藤忠商事コンテンツ事業部は『メビウスリンク3D』の販促ポスターやホームページで営業・プロデューサーの募集をかけていたが、集まらなかったらしく、伊藤忠商事はゲームに参入してすぐに撤退。そのため、伊藤忠商事が発売した珍しいゲームの一つとなった。

1998年より、株式会社アイマジックの取締役に就任。「アイマジック」は元々は同人サークルで、1994年にリリースしたX68000用グラフィックソフト「ハイパーピクセルワークス ver2.00」がTAKERUで販売した最初のソフトだったが、同じくTAKERUで販売した『メビウスリンク』などの大ヒットにより株式会社化された(これによりコミケも、2000年開催のコミケット58より企業ブースで出展するようになった)。TAKERUで販売する際に使用する名義として、本来は「インダストリアルマジック」とするつもりだったが、TAKERUの文字制限から「アイマジック」となったという。なお、アイマジックの開発したデジタルカタログソフト『おうちでTAKERU』では、広沢が自ら画面に登場してTAKERUの紹介をしているのがみられる(おそらくTAKERU実機でも広沢が表示されていたと思われる)。

1998年、アイマジックのブランドであった「マグノリア」を引き継ぎ、ソフトウェア販売会社の株式会社マグノリアを設立して独立する。マグノリアでは、プレステ用ソフトの『ワールドプロテニス'98』(開発は服部博文)やパソコン用ソフトの『鉄道模型シミュレーター』(アイマジック)などをプロデュースした。また、将棋ソフトの「Bonanza」をプロデュースし、2006年開催の第16回世界コンピュータ将棋選手権では、AIなので将棋を指す腕がないBonanzaの代理として広沢社長が将棋を指し、優勝した[8]。今大会では初めてインターネットでのライブ中継が行われ、競合ソフトが高価なワークステーションなどを用いる中、広沢が選手権でBonanzaを動かした、広沢の私物のノートパソコンと、それを冷却した広沢の愛用の赤いUSB扇風機がネットで話題となり、マグノリアが2006年11月に発売した「Bonanza 2.1 Commercial Edition」では“伝説の赤いUSB扇風機”こと「ボナンザ専用ファン」が同梱された[9]。また、同社ではKCC(朝鮮コンピューターセンター)の開発した囲碁ソフト『銀星囲碁』のプロデュースも手掛けている。

2005年、中国の金山軟件の日本子会社として設立されたキングソフト株式会社代表取締役に就任。長くゲームのプロデュースを手掛けてきた広沢だが、キングソフト製のオンラインゲームは中国の歴史に根ざしたものだったので、すぐに日本で発売できるというものではなく[10]、Microsoft Office互換ソフトの「WPS Office」が主力となった。

政界進出

2011年愛知県議会議員選挙(瑞穂区選挙区)に減税日本公認(日本一愛知の会推薦)で立候補、11,420票を獲得し当選[11]。当選後、減税日本幹事長に就任。2014年第47回衆議院議員総選挙愛知1区)に減税日本公認で立候補、18,343票を獲得するも落選[12]。落選後、党幹事長を退任。2017年、名古屋市副市長が任期満了となり、新開輝夫の後任として、広沢の起用を市長の河村たかしが検討と報じられる[13]。12月16日付で名古屋市副市長に就任。2021年12月15日、任期満了で副市長を退任[14]

2022年3月22日、名古屋市議会は河村が提出した広沢を市教育長に起用する人事案を、河村が代表を務める減税日本以外の全会派の反対により不同意とした。広沢が減税日本所属の元県議で党幹事長も務めていたことから議会側が「教育の中立性が損なわれる」と問題視した[15][16]。同月27日、河村は、第26回参議院議員通常選挙愛知県選挙区(改選数4)に減税日本から広沢を擁立する考えを示した。減税日本と協力関係にある日本維新の会に公認を申請する方針を示し[17]、4月9日に維新が広沢を公認すると発表した[18]。同年7月10日の投開票の結果、17人中5位となり約4万票差の次点で落選した[19]。参院選後に減税日本の幹事長に復帰した。2022年11月、翌年の第20回統一地方選挙での減税と維新の選挙協力が白紙になったことを受け、維新に離党届を提出した[20]

2023年5月、減税日本幹事長を退任し副代表兼選挙対策委員長に就任。10月17日、政治団体「日本保守党」の事務局次長に就任[21]。2024年10月27日執行の第50回衆議院議員総選挙に河村が立候補したため、公示日の同月19日付で公職選挙法規定により名古屋市長を退職(自動失職)となり、来年の予定から前倒しする形で名古屋市長選挙が、同年11月24日に執行されることとなり、広沢は河村の後継指名を受けて[22]、名古屋市長選への立候補を表明した[23]。日本保守党と減税日本が、広沢の推薦を決定している[24]

選挙戦は1969年以来55年ぶり7人の争いとなり、11月24日の投開票では392,519票を獲得して元参議院議員で、自民公明立憲民主国民民主の各党が推薦した大塚耕平らを破り、初当選を果たした[25]。翌日の11月25日に第36代名古屋市長に就任した[26]。市長選での当選を受け、12月4日に日本保守党の事務局次長を退任し、執行部から退いた。一方で同党の名古屋支部長は留任するとしている[27]。また、減税日本での役職は代表代行に昇格した[28]

2025年6月30日の市役所での定例記者会見中に倒れ、救急車で病院に搬送された。市によると、血圧などの数値に異常はなく、会話ができる状態。担当した医師は特定の疾病ではなく、「日ごろの疲労がたまっていたところに、会見中の緊張などが重なって失神の前兆のような症状が出た」と診断した[29][30]

2025年8月6日、河村前市長のもと交流が途絶えていた中国南京市と名古屋市の関係改善に意欲を示したことが日本保守党の支持者の反発を招いたことを受け、日本保守党の名古屋支部長を辞任した。離党については否定し、党員を継続するという[31][32]

選挙歴

当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
2011年愛知県議会議員選挙 2011年4月10日 47 名古屋市瑞穂区選挙区 減税日本 1万1420票 41.3% 2 1/3 /
第47回衆議院議員総選挙 2014年12月14日 50 愛知県第1区 減税日本 1万8343票 25.13% 1 4/6 /
第26回参議院議員通常選挙 2022年07月10日 58 愛知県選挙区 日本維新の会 35万1840票 11.36% 4 5/19 /
2024年名古屋市長選挙 2024年11月24日 60 ーー 無所属 39万2519票 53.43% 1 1/6 /

主なプロデュース作品

  • プレイステーション
    • メビウスリンク3D(1998年、伊藤忠商事)
    • ワールドプロテニス'98(1998年、マグノリア)
    • ファミリー軍人将棋 (2002年、マグノリア) - ゲームアーカイブスでも配信(販売はハムスター
    • ファミリーダイアモンド (2002年、マグノリア) - ゲームアーカイブスでも配信(販売はハムスター)

ブラザー工業時代は多数の同人ソフトのプロデュースを手掛けた。

脚注

  1. ^ 日本維新の会 第26回参議院議員通常選挙 第七次公認一覧”. 日本維新の会 (2022年4月11日). 2025年3月3日閲覧。
  2. ^ 名古屋市選挙管理委員会告示第17号”. 名古屋市 (2024年11月25日). 2025年3月3日閲覧。
  3. ^ 宮里圭介 (2016年11月1日). “ソフトベンダーTAKERU 30周年 レトロPC/ゲームを振り返る 第2回 今だから話せる!? 「中の人」が語るTAKERUの軌跡”. ASCII.jp. 角川アスキー総合研究所. 2025年4月11日閲覧。
  4. ^ 今蘇るソフトベンダーTAKERU伝説ブラザー
  5. ^ 『MSX・FAN』 1992年4月号、p.122
  6. ^ 『MSX・FAN』1993年4月号、p.106
  7. ^ 「TAKERU PRESS」1993年10・11月号、p.1
  8. ^ 第16回世界コンピュータ将棋選手権 (2006年5月3日~5日開催)にて、Bonanzaが優勝 広沢一郎
  9. ^ 「Bonanza対トップアマ」将棋対局レポート 世界コンピュータ将棋選手権優勝ソフトのお手並み拝見 4gamer.net
  10. ^ Impress Watch 10th Anniversary Special
  11. ^ “愛知県議選 : 開票結果 : 統一地方選2011”. YOUMIURI ONLINE. https://web.archive.org/web/20110413064759/http://www.yomiuri.co.jp/election/local/2011/kaihyou/yh23.htm 2017年12月4日閲覧。 
  12. ^ “【衆院選】:衆院選2014:開票結果・速報:小選挙区・愛知:選挙:読売新聞”. YOUMIURI ONLINE. https://web.archive.org/web/20141215065956/http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/2014/kaihyou/ya23.html 2017年12月4日閲覧。 
  13. ^ 河村市長「色々と提案期待」 副市長に広沢氏起用案”. 日経新聞. 2025年7月2日閲覧。
  14. ^ “名古屋副市長に松雄氏、河村市長が提案へ 天守復元事業を指揮”. 中日新聞. (2022年3月18日). https://www.chunichi.co.jp/article/363659 2022年3月20日閲覧。 
  15. ^ “机たたく河村氏 元減税県議の教育長起用、市議会の不同意に不満”. 朝日新聞. (2022年3月22日). https://www.asahi.com/articles/ASQ3Q5HH4Q3QOIPE015.html 2022年3月22日閲覧。 
  16. ^ “名古屋市、教育長不在に 前副市長起用案を不同意”. 産経新聞. (2022年3月22日). https://www.sankei.com/article/20220322-YGZFKNMBSFOLVC24WZ3SV3YQZI/ 2022年3月22日閲覧。 
  17. ^ “減税、参院愛知に広沢氏 前名古屋副市長”. 日本経済新聞. (2022年3月28日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFD273BA0X20C22A3000000/ 2022年4月10日閲覧。 
  18. ^ “維新、減税日本候補を公認 参院愛知”. 産経新聞. (2022年4月9日). https://www.sankei.com/article/20220409-BDX7UCJSFZPJZJ72WV6GOVMI3A/ 2022年4月10日閲覧。 
  19. ^ 参院選2022 愛知の候補者一覧・開票結果”. 朝日新聞. 2022年7月11日閲覧。
  20. ^ “「減税日本」愛知県議、維新離党 統一地方選の協力白紙で”. 共同通信. (2022年11月22日). https://web.archive.org/web/20221122103855/https://nordot.app/967736177333665792?c=39550187727945729 2022年11月23日閲覧。 
  21. ^ “河村たかし市長、「日本保守党」の共同代表に 百田尚樹氏の政治団体”. 朝日新聞. (2023年10月17日). https://www.asahi.com/articles/ASRBK678QRBKOIPE00M.html 2023年10月17日閲覧。 
  22. ^ 【独自】河村たかし名古屋市長が衆院選出馬へ 日本保守党公認で愛知1区から:中日新聞Web”. 中日新聞Web. 2024年9月30日閲覧。
  23. ^ 日本放送協会. “名古屋市 広沢元副市長が市長選立候補へ|NHK 東海のニュース”. NHK NEWS WEB. 2025年1月2日閲覧。
  24. ^ 自民、名古屋市長選の対応は… 保守党と減税日本は広沢一郎氏を、共産は尾形慶子氏を推薦:中日新聞Web”. 中日新聞Web. 2025年1月2日閲覧。
  25. ^ “名古屋市長選挙、広沢一郎氏が初当選…河村たかし前市長から後継指名”. 讀賣新聞オンライン. 読売新聞社. 2024年11月24日. 2024年11月29日閲覧.
  26. ^ 名古屋市公報(本号)第305号』(PDF)(プレスリリース)名古屋市役所、2024年11月25日https://www.city.nagoya.jp/koho/cmsfiles/0000000/467/467.pdf2024年11月29日閲覧 
  27. ^ hst-naomi-nodera (2024年12月4日). “役職者の新任・異動について - 日本保守党|日本を豊かに、強く。”. hoshuto.jp. 2025年1月2日閲覧。
  28. ^ “広沢名古屋市長の役職を代表代行に変更 当選受け減税日本”. 中日BIZナビ. (2024年12月6日). https://biz.chunichi.co.jp/news/article/10/95532/451/ 2024年12月15日閲覧。 
  29. ^ “名古屋市の広沢一郎市長 記者会見中に倒れ救急搬送 経過観察で入院”. 毎日新聞. (2025年6月30日). https://mainichi.jp/articles/20250630/k00/00m/040/170000c 2025年7月1日閲覧。 
  30. ^ “救急搬送の名古屋市長、早期復帰へ 市立小教諭の児童盗撮事件で対応説明、会見中倒れる”. 産経新聞. (2025年6月30日). https://www.sankei.com/article/20250630-AJRQXPXLGVP3VGPAVVH3E5W5YA/ 2025年7月1日閲覧。 
  31. ^ “広沢一郎名古屋市長が日本保守党支部長退任 中国・南京市との交流再開に党支持者ら反発”. 中日新聞. (2025年8月7日). https://www.chunichi.co.jp/article/1111875 2025年8月7日閲覧。 
  32. ^ “名古屋市長、日本保守党支部長を辞任 南京市との交流再開表明で党支持者ら反発”. 読売新聞. (2025年8月8日). https://www.yomiuri.co.jp/local/chubu/news/20250808-OYTNT50072/ 2025年8月8日閲覧。 

外部リンク

 
公職
先代
河村たかし
名古屋市長
第36代:2024年 -
次代
現職
党職
先代
小林興起
空席
減税日本代表代行
第2代:2024年 -
次代
現職
先代
新設
小泉俊明
田山宏之
減税日本幹事長
初代:2011年 - 2012年
第3代:2012年 - 2015年
第7代:2022年 - 2023年
次代
小泉俊明
鎌倉安男
北角嘉幸



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