帝キネでの籠の鳥・日活・松竹蒲田とは? わかりやすく解説

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帝キネでの籠の鳥・日活・松竹蒲田

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 14:33 UTC 版)

澤蘭子」の記事における「帝キネでの籠の鳥・日活・松竹蒲田」の解説

やがて東京戻り1923年大正12年3月松竹蒲田撮影所入社早くも同年6月には日活向島撮影所移籍同年6月14日公開され若山治監督の『火焔浴びて』に「澤 らん子」の名で出演したが、同年9月1日起きた関東大震災被災した撮影所壊滅した。翌1924年大正13年5月25日帝国キネマ演芸移籍し、「澤 蘭子」と改名し同社芦屋撮影所所属した同年6月26日公開された澤の主演作恋慕地獄』は、澤と同じ日活向島から来ていた若山治監督して大ヒット、澤は人気スターになる。つづいて同年8月14日公開され松本英一監督の『籠の鳥』に主演同作は、帝国キネマ創立以来最大ヒット記録した1927年昭和2年2月9日公開され松本英一監督の『馬車寅』を最後に退社休養入った同年5月15日日活復帰京都日活大将軍撮影所所属した同年7月1日公開され伊奈精一監督による『浮世車』に主演同作は、「澤蘭子復帰第一回出演作」として製作されたものである。同撮影所所属した俳優美濃部進改名後岡譲二、あるいは岡譲司)との恋愛失踪事件起こし1929年昭和4年11月退社余儀なくされる。『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』および『芸能人物事明治大正昭和』には、このとき美濃部と澤は結婚した記されている。一方、『日本映画俳優全集男優編』の「岡譲司」の項には、「事実上結婚をしていた」と記されている。大野芳近衛文麿」p.285にも「澤さんは岡譲二入籍してませんでした」との中村万作証言載っている。 1930年昭和5年)には一時期、「泉 蘭子」の名で帝国キネマ演芸映画出演した記録がある。1931年昭和6年5月美濃部とともに松竹蒲田撮影所入社、このとき美濃部は「岡譲二」に改名している。1932年昭和7年10月27日公開され島津保次郎監督によるトーキー作品歓喜一夜』では、岡との主演共演実現した

※この「帝キネでの籠の鳥・日活・松竹蒲田」の解説は、「澤蘭子」の解説の一部です。
「帝キネでの籠の鳥・日活・松竹蒲田」を含む「澤蘭子」の記事については、「澤蘭子」の概要を参照ください。

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