州首相として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/23 10:27 UTC 版)
「ナル・バハドゥール・バンダーリー」の記事における「州首相として」の解説
シッキム西部のマルバセイ(Malbasey)に生まれ、ダージリン大学(Government College, Darjeeling)を卒業、最初は教師となった。民主化運動が盛んになった1974年に統一独立戦線(United Independent Front)という政党を組織してシッキム立法議会(英語版)選挙に挑んだが、1議席も得ることができなかった。シッキムがインドに併合された後の1976年に、バンダーリーはシッキム会議派のカジ・レンドゥプ・ドルジ政権から治安維持法(Maintainance of Internal Security Act)違反を問われ、逮捕されてしまう。 1977年に釈放されると、バンダーリーは新たにシッキム・ジャナタ・パリシャド(英語版)(SJP)を結成し、1979年のシッキム州議会選挙に挑んだ。SJPは32議席中16議席を獲得して第1党となり、バンダーリーが州首相に選出された。1984年5月、バンダーリーはインド国民会議派(INC)の連邦政府と対立し、また腐敗も問われたために州首相から辞任に追い込まれている。しかしバンダーリーは新たにシッキム闘争会議(SSP)を結成し、同年末のローク・サバー(連邦下院)選挙でシッキム選挙区に出馬、勝利を収めた。翌1985年の州議会選挙では(バンダーリーも連邦下院議員を辞職して参戦)、SSPが32議席中30議席を獲得する圧勝を収め、バンダーリーが州首相に返り咲いた。続く1989年州議会選挙では、SSPが全32議席を占める完勝を収めている。 バンダーリー(ないしはSSP)は、州内の経済建設に加え、ネパール語をインド憲法第8附則言語とすること(すなわちインドの公用語であると憲法に明文規定とすること)を主張するなど、シッキムで多数派を占めるネパール系住民の権利・利益の擁護を提唱した。州首相としての実績では、州内のインフラ整備等を推進したことに加え、1983年にリンブー語を州公用語の1つと位置づけたこと、更に1992年にネパール語の憲法第8附則編入を実現したことなどがあげられる。しかしその経済政策は、統治エリート層の腐敗をもたらし、また村落開発が重視されないことへの不満が高まるなど、実践における不均衡も目立った。更にインド国内やネパールからネパール系住民のシッキムへの流入が相次ぐなどの社会不安も招いている。
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