カナダへの加入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 14:12 UTC 版)
「ニューファンドランド島」の記事における「カナダへの加入」の解説
ニューファンドランド・ラブラドールはカナダでも最も若い領土である。1949年まで、ニューファンドランドはイギリス植民地であり、特に責任政府返上までは自治領として、同じ自治領のカナダやオーストラリア、ニュージーランドなどとともに大戦への参戦をするなど独立国のように振舞っていた。この年、歴史的・経済的・文化的・政治的に著しく異なるカナダへの加入をめぐる住民投票で、賛成が50.50%、反対が49.50%を占めた。住民投票はカナダ支持派とイギリス支持派の間の激しい戦いとなったが、僅差でカナダ加入が決まった。これはカナダ西部生まれの政治家で、カナダとの連合派とともに選挙運動を戦ったジャック・ピッカーズギル(Jack Pickersgill)の役割が大きいとされている。カトリック教会が独立維持のロビー活動を行うなど、宗教団体も大きな役割を果たした。財政的な誘因も大きく、特にニューファンドランド人に子供が生まれるごとに家族に対し補助金を出す「ベビー・ボーナス」の公約は影響力があった。 連合派はカリスマ性の高い元ラジオ放送局経営者のジョーイ・スモールウッド(Joey Smallwood)に率いられていた。彼は社会主義的な政治傾向をニューヨークの左翼紙での勤務時代に身につけていたが、もっとも州首相としての彼の政策は社会主義よりはリベラリズムに近いものがあった。彼は選挙で選ばれたニューファンドランド州の首相を6期22年にわたり務め、支持者の間で個人崇拝にも似た人気を築き、支持者は彼の落選後も長年彼に固執し続けた。島民の中には、人々の中にはベビー・ボーナスのような財政的インセンティブを、カナダ市民としての権利としてよりも、スモールウッドの慈悲の産物とみなす傾向があるという意見もある。
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