カナダへの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:32 UTC 版)
「地下鉄道 (秘密結社)」の記事における「カナダへの影響」の解説
少なくとも20,000人あまりの奴隷たちが地下鉄道を通じてカナダに亡命したと推測されている。これは、カナダの社会に多大な影響を与えた。アッパー・カナダ(1841年からはカナダ・ウエスト、現在の南オンタリオ)に亡命した奴隷の数が最も多く、黒人カナダ人の自治体がそこで数多く発達した。トロント、ナイアガラフォールズ、そしてウィンザーの3カ所を結ぶ三角形の中に、そのような自治体のほとんどが存在した。特にトロントには1,000人もの奴隷たちが住み着き、また、ケント郡やエセックス郡には、元奴隷たちの村が数ヶ村設立された。 さらに遠くでは、英国領(現在はカナダの一部)に黒人たちの集落が構えられた。その中には、ジェームズ・ダグラス総督が黒人の移住を勧めたノバスコシアやバンクーバー島などの島が挙げられる。ダグラスは、黒人のコミュニティーを設置することによって、その島々をアメリカ合衆国と合併しようとする勢力への防波堤の役目を果たせる、と考えた。 目的地に着いたときに、失望させられた逃亡者たちも数多くいた。イギリス領では奴隷制は廃止されていたものの、人種差別はありふれていたからである。到着した土地で仕事を手に入れることも困難だった。しかし、ほとんどの黒人たちはその場所に居続けた。アッパー・カナダに亡命した20,000人中、米国に帰国したのはわずか2割だった。 南北戦争が始まったことで、他国に亡命していた数多くの黒人たちが連邦国軍の兵隊に徴募し、その後カナダに戻った黒人たちもいた中で、たくさんの黒人が米国に残った。また数千人もの黒人たちが、終戦後、家族や友達と再会するために、南部の州に戻っていった。ほとんどの黒人たちが、奴隷解放や再建時代の動きのもたらす未来に、希望をもっていた。 今日のカナダの人々は、自分たちの国が、米国からの奴隷たちの避難場所であったことを誇りに思っている。彼らの国が、近隣の国で存在を否定される人々に自由をもたす場所である、と考える人もいる。オンタリオ州には、そのような信条をもとにした建造物が数多く建てられた。
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