川辺本陣とは? わかりやすく解説

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川辺本陣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 00:21 UTC 版)

川辺本陣(かわべほんじん)は、岡山県下道郡川辺村(現・倉敷市真備町川辺)にかつて存在した本陣である。


注釈

  1. ^ 総社町は「備中売薬」という置き薬が盛んな地で、かつては「日本五大売薬」に挙げられる時代もあった[3]
  2. ^ a b 「川辺宿本陣絵図」に「御本陣 難波惣七」と記載されている[8]。また、1737年元文2年)の萩藩主の参勤交代を記録した「元文2年 (1737) 御参勤御道中記録 但惣陸」の3月13日に、「一同晩川辺御着、御本陣難波弥三兵衛」と記載されている[9]伊能忠敬1809年文化6年)8月24日に川辺本陣に宿泊したことを記録している「測量日記」にも、本陣の当主は「難波忠七」と記載されている[7]
  3. ^ 『真備町史』には、大名たちが本陣などに泊まったり休息したりした際の宿賃について「川辺本陣には記録がない」と記されている[5]が、「元文2年 (1737) 御参勤御道中記録 但惣陸」以外にも、他藩の参勤交代の記録に川辺本陣の宿賃が記載されている可能性はある。
  4. ^ フジサンケイグループ代表の日枝久が川辺脇本陣の末裔であると説明されているネット情報が、「日枝(ひえだ)家 下道郡川辺村」や「紀行歴史遊学 象も泊まるほどの賑わい」など複数あるが、いずれも個人のブログの域を出ないため、本文への記載と出典に挙げるのは差し控える。
  5. ^ 別冊宝島 僕たちの好きな金田一耕助』に、「写真の丘にはかつて『本陣』のモデルになった屋敷が存在した」と紹介されている写真と、ほぼ同じ構図で撮影されている[12]
  6. ^ 『吉備郡史 巻中』の「本陣及宿驛」の章に「本陣 大名の宿泊する家にて、一宿驛に一箇所づつあり」と記されている[18]
  7. ^ 実際には小金宿土浦宿のように本陣が2箇所という宿場町が存在する。ただし、『吉備郡史 巻中』の「本陣及宿驛」の章[18]、『真備町史』の「駅制と川辺宿」の章[4]および「川辺本陣」の章[5]のいずれにも、川辺宿に本陣が2箇所あったという記述や難波氏以外の本陣があったという記述は見られない。
  8. ^ 『吉備郡史 巻中』の「本陣及宿驛」の章に「吉備郡に於ける宿驛は板倉及川邊にて其本陣は板倉驛の東方氏川邊驛の難波氏なり」と記されている[18]
  9. ^ 「川辺宿本陣絵図」と一緒に見つかった、川辺本陣と脇本陣付近の家の間数などを詳しく記した図には、本陣の西隣の家が「領主家臣 加藤治平」と記されている[5]。加藤治平は岡田藩士で、明治の初めに岡山県大参事となった加藤正周はその子孫である[5]
  10. ^ 浅口郡地頭上村の塚村家の分家、庄兵衛高森の曾孫の太郎昌言の妻について「下道郡川辺村の本陣加藤家から来ています」と記載されているネット情報(塚村家浅口郡地頭上村)があるが、個人のブログの域を出ないため、本文への記載と出典に挙げるのは差し控える。
  11. ^ 塚村家浅口郡地頭上村」には、「私の祖母は川辺の加藤家から来ている」、「加藤三郎という県議が出た家でしょう」、「いや、その加藤とは違うはずだ。祖母の実家は岡田藩士族だった」という会話の記述もある。「加藤三郎」の名前は、吉備四国八十八ヶ所霊場 画像集1の「東薗用水記念碑」(昭和二十八年九月)に「管理者岡田村長 加藤三郎」と刻まれている。なお、一柳家のモデルとなった屋敷について、『横溝正史研究 2』には「旧岡田村長も務めた加藤家の屋敷跡と伝えるあたり」[19]、『巡・金田一耕助の小径 ミステリーガイドブック』には「村長をつとめ、岡山県議会議員もつとめた加藤家である」と記載されている[20]

出典

  1. ^ a b c 真備町史編纂委員会 編『真備町史』岡山県吉備郡真備町、1979年、487-488頁。"川辺の殿様"。 
  2. ^ a b 井原沿線空の旅 − 各駅編 ◆川辺本陣跡(倉敷市真備町川辺)”. デジタル岡山大百科. 岡山県立図書館. 2023年7月29日閲覧。
  3. ^ 幸田浩文「備中売薬と11代万代常閑 -江戸時代中期から幕末まで-」『経営論集』第97巻、東洋大学経営学部、2021年3月、1-15頁、CRID 1050006363687240960ISSN 0286-6439NAID 1200070261702023年10月30日閲覧 
  4. ^ a b c 真備町史編纂委員会 編『真備町史』岡山県吉備郡真備町、1979年5月、479-481頁。"駅制と川辺宿"。 
  5. ^ a b c d e f g h i j k 真備町史編纂委員会 編『真備町史』岡山県吉備郡真備町、1979年5月、481-487頁。"川辺本陣"。 
  6. ^ 真備町史編纂委員会 編『真備町史』岡山県吉備郡真備町、1979年5月、542-544頁。"娯楽"。 
  7. ^ a b c d e f g h i j 小野克正、加藤満宏、中山 薫『真備町(倉敷市)歩けば』日本文教出版株式会社岡山文庫〉、2016年6月17日、73-75頁。"川辺を歩けば「川辺本陣跡 - 脇本陣跡」 加藤満宏"。 
  8. ^ a b 川辺宿本陣絵図 川辺宿関係絵図”. デジタル岡山大百科. 岡山県立図書館. 2023年7月29日閲覧。
  9. ^ a b 萩藩主参勤交代の記録を読む -「元文2年 (1737) 御参勤御道中記録 但惣陸」- 第2版” (PDF). 山口県文書館公式ウェブサイト. 山口県文書館. p. 33. 2024年3月6日閲覧。
  10. ^ a b 「第三回旧山陽道歩く会(2007年) 5月20日 歩こう、連ごう、旧山陽道」 旧山陽道歩こう会 (4) 解説 加藤満宏「川辺本陣」
  11. ^ a b 脇本陣跡”. NAVITIME. 株式会社ナビタイムジャパン. 2023年7月29日閲覧。
  12. ^ 宝島社『別冊宝島 僕たちの好きな金田一耕助』 金田一耕助登場全77作品 完全解説「金田一耕助のふるさと 岡山をゆく」p.13参照。
  13. ^ a b 『巡・金田一耕助の小径 ミステリーガイドブック』(「巡・金田一耕助の小径」実行委員会、2021年3月31日増補改訂版)表紙裏「金田一耕助が初登場! 戦後初の長編推理小説『本陣殺人事件』」。
  14. ^ 江藤茂博、山口直孝、浜田知明 編『横溝正史研究 6』戎光祥出版株式会社、2017年3月28日、84-85頁。"〈疎開名士を訪ねて 5〉怖いのは乗り物 / "この春には東京へ帰りたい / 炬燵が好きな横溝正史氏"(初出:岡山地元紙? 1946年1月20日)"。 
  15. ^ 横溝正史『金田一耕助のモノローグ』角川書店角川文庫〉、1993年11月10日、71頁。 
  16. ^ 角川文庫『本陣殺人事件』「本陣の末裔」。
  17. ^ 横溝正史 著、日下三蔵 編『横溝正史ミステリ短編コレクション6 空蝉処女』柏書房株式会社、2018年6月5日、452-453頁。"付録 (10) 「空蝉処女」に寄せて 横溝孝子"。 
  18. ^ a b c 永山卯三郎 編『吉備郡史 巻中』岡山県吉備郡教育会、1937年8月15日、2141-2188頁。"第八十三章 本陣及宿驛"。 
  19. ^ 江藤茂博、山口直孝、浜田知明 編『横溝正史研究 2』戎光祥出版株式会社、2017年3月28日、204-209頁。"イベント化における観光的コラージュ 金田一耕助と歩く二つの道を中心に 網本善光"。 
  20. ^ 『巡・金田一耕助の小径 ミステリーガイドブック』(「巡・金田一耕助の小径」実行委員会、2021年3月31日増補改訂版)9ページ。
  21. ^ 「川辺一里塚跡」説明板(川辺まちづくり推進協議会)より。
  22. ^ 川辺地区社協だより 第45号 2021年(令和3年)11月 川辺地区社会福祉協議会
  23. ^ 小野克正、加藤満宏、中山 薫『真備町(倉敷市)歩けば』日本文教出版株式会社岡山文庫〉、2016年6月17日、75-76頁。"川辺を歩けば「艮御崎神社」 加藤満宏"。 
  24. ^ 横溝正史『金田一耕助のモノローグ』角川書店角川文庫〉、1993年11月10日、8-25頁。 


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