岡田虎二郎とは? わかりやすく解説

岡田虎二郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/10 21:03 UTC 版)

岡田式静座法」の記事における「岡田虎二郎」の解説

岡田1872年 - 1920年)は、三河国渥美郡田原町愛知県田原市)の旧田原藩士族次男として生まれた父親郡役所書記などをしていた。早産生まれ生まれつき虚弱であったが、134歳時に一種霊感受けたといい、心身一変強健となって以来心身改造志した16歳高等小学校卒業農業従事し農事講習会にも熱心に参加して独自の害虫駆除法を編み出したほか自作米で全国一位受賞するなど農業改良運動家として活躍する一方植物の改良だけでなく、自身心身改良のため食生活研究鍛錬法などを試みた1901年渡米して見聞広めヨーロッパ経由して1905年帰国し地元素封家の娘と結婚し一女をもうけるも翌1906年離婚甲州の山にこもったのち東京で働く兄弟頼って上京し自己鍛錬日々を送る。1907年に、心身病弱者救済するという広告新聞出し実際に治癒導いたことから次第訪ねる人も増え1910年ころには相当の評判呼び日暮里本行寺借りて静坐会を始めた1911年には「岡田式呼吸静坐法」の雑誌連載始まり、それをまとめた単行本ベストセラーとなった自身巨体睡眠4時間で、午前4時起床し、5時に朝食食事簡素で、1日2回の水浴をするという生活を送った文化人芸術家政治家など有名人をはじめ、多く信奉者抱えていたが、49歳のときに尿毒症急死盛況だった静坐会も一気衰退したが、岡田死後いくつかの静坐会は各地存続した。妻との間に娘礼子静坐会は都内だけで百数十か所で開催され正式な登録会員だけでも2万人いたと言われる岡田式の実践者とされる著名人には、木下尚江田中正造相馬黒光高田早苗天野為之浮田和民岸本能武太坪内逍遥東儀鉄笛閑院宮東伏見宮夫妻徳川慶久安田善次郎徳川慶喜渋沢栄一中里介山島村抱月村井弦斎郭沫若中原悌二郎芦田惠之助筧克彦福来友吉柳田誠二郎岡田完二郎橘孝三郎八代六郎今岡信一良小山東助星島二郎足利浄円加藤高明西田天香宮澤賢治正田貞一郎後藤新平夏目漱石夫人佐保田鶴治倉田百三寿岳文章などがいた。

※この「岡田虎二郎」の解説は、「岡田式静座法」の解説の一部です。
「岡田虎二郎」を含む「岡田式静座法」の記事については、「岡田式静座法」の概要を参照ください。

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