山本音吉とは? わかりやすく解説

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音吉

(山本音吉 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/16 13:43 UTC 版)

音吉(おときち 英語: John Mathew Ottoson文政2年(1819年) - 慶応3年(1867年1月18日)は、江戸時代水主・漂流民[1]。後にはジョン・マシュー・オトソン英語: John Matthew Ottoson)と名乗った。名は乙吉とも記される。山本音吉とも。ロンドンに初めて上陸した日本人(1835年)とされ、マカオ[2]に現存する最古とされる日本語訳の聖書の編纂に関係し、モリソン号事件では漂流民として船に乗り、上海デント商会英語版に勤めた。1849年のイギリス船マリナー号の浦賀来航に際し、中国人「林阿多」(リン・アトウ)と名乗り通訳として同行し、更に1854年日英和親条約締結の際に通訳としてイギリス側に同行した。また、初めてイギリスに帰化した日本人とされており[3][4][5]、ほぼ地球を一周した。


注釈

  1. ^ 音吉、岩吉、久吉の3名を「三吉」(さんきち)と呼んでいた[6]
  2. ^ 日本人として最初に世界一周をした若宮丸の津太夫ら4人がイギリスのファルマスに寄航しているが、上陸は許されていなかったので、音吉ら3人が最初にイギリスへ上陸した日本人となる。
  3. ^ 文化10年10月、伊豆沖で暴風に逢い1年4ヵ月漂流ののち英国船に救助され薩摩の「永寿丸」の乗組員らとともにロシア船で帰国した「督乗丸」船頭長右衛門(重吉)と水主音吉の口書。同じく薩州船永寿丸の船頭喜三左衛門ら3人の申口も含む。元桑名藩士奥平貞守 (勝馬) 旧蔵資料。

出典

  1. ^ 齋藤 2017, 「解説 : 福澤が見たアジア――シンガポールと漂流人音吉」(福澤諭吉『世界国尽』より)。
  2. ^ 沖田, pp. 202–203
  3. ^ a b c Yamamoto Otokichi”. アーカイブ. Singapore Infopedia. 2020年5月11日閲覧。
  4. ^ 春名 1979, p. 293, 『にっぽん音吉漂流記』上海の「租借地名簿」に名前の記載がある。
  5. ^ 美浜町の偉人について 山本音吉とは : ~知多の海から世界の海へ~”. 美浜町 (2019年8月8日). 2021年3月26日閲覧。
  6. ^ 山口 2017, 「『三吉』との接点を巡るミステリー」
  7. ^ 春名 1979, p. 39, 「栄力丸漂流記」
  8. ^ 山本 1926, pp. 40-, 「四 日本の漂流人とグツツラフ」
  9. ^ a b c “現存する最古の和訳聖書の翻訳に尽力 音吉の銅像を故郷・美浜町に建立へ”. クリスチャントゥデイ. (2018年3月3日). http://www.christiantoday.co.jp/articles/25070/20180115/statue-of-otokichi-mihama-cho.htm 2018年3月14日閲覧。 
  10. ^ 久田 2021, 「第1部 音吉聖書に至る道」
  11. ^ 久田
  12. ^ 久田 2021, 「第3部 音吉聖書の読解」
  13. ^ 「音吉の生涯(1819‐1867);音吉研究の経過;音吉聖書」(『音吉表現のギュツラフ訳聖書』)を読む前に[10])、音吉聖書(現代語訳)[11]ヨハネ伝の要約;ヨハネ伝の哲学よみ;宗教と哲学、音吉の哲学思想陶冶の物語[12]
  14. ^ “ヘボンと日本語訳聖書誕生の物語(1)プロローグ―漂流する聖書”. クリスチャントゥデイ. (2018年4月4日). http://www.christiantoday.co.jp/articles/25395/20180404/james-curtis-hepburn-1.htm 2018年4月21日閲覧。 
  15. ^ 山本 1926, pp. 46-, 「五 日本の漂流民とモリソン号の使命」
  16. ^ 山本 1926, pp. 52-, 「六 モリソン号の失敗と日本漂流民の行衛」
  17. ^ [15][16]
  18. ^ 春名 1979, p. 172
  19. ^ 春名 1979, p. 172
  20. ^ シンガポールで遣欧使節に対して、戦争に参加する事14回[19]と述べた。
  21. ^ 音吉顕彰会からのお知らせ - ウェイバックマシン
  22. ^ 山本音吉「140年前のご厚意に感謝」: 愛知の顕彰会、倉敷・旧野崎家訪問へ 長男の日本国籍取得支援」『毎日新聞』2016年11月22日。
  23. ^ 山本音吉 長男の日本国籍取得支援 : 140年前の感謝伝え 愛知の顕彰会、倉敷訪問」『』毎日新聞、岡山、2016年12月1日。
  24. ^ 春名 1979, p. 288
  25. ^ “[現]小野浦海岸の県道東側、若宮八幡前にある(美浜町小野浦)。日本聖書協会が1956年(昭和31年)建設。” いわきちひさきちおときちしょうとくきねんひ。
  26. ^ a b 楠瀬明子、Tokunaga, Kenji「180年前の漂着者たち」『羅府新報』2014年3月14日。2024年6月22日閲覧。
  27. ^ デジタル大辞泉プラス『にっぽん音吉漂流記』 - コトバンク
  28. ^ 『映画撮影』第81号、日本映画撮影監督協会、1983年6月、52頁、doi:10.11501/7954647国立国会図書館書誌ID:34735-d7954647
  29. ^ 「話題作ハイライト/『ダブルベッド』『海嶺』『伊賀野カバ丸』『ステイン・アライブ』『アウトサイダー』」『映画情報』第48巻第9号(復刊373号)、国際情報社、1983年9月、doi:10.11501/2343795国立国会図書館書誌ID:2016-d2343795
  30. ^ 八森稔「『地平線』『海嶺』ルポ『キネマ旬報』第868号(通号1682)、キネマ旬報社、1983年9月、98-101頁、doi:10.11501/7905938国立国会図書館書誌ID:4912-d7905938
  31. ^ 小藤田千栄子「『海嶺』」『キネマ旬報』第874号(通号1688)、キネマ旬報社、1983年12月、155頁、doi:10.11501/7905944国立国会図書館書誌ID:4912-d7905944
  32. ^ 「日本映画紹介 『海嶺』、『生きてはみたけれど』、『女教師は二度犯される』、『ロリコンハウス・おしめりジュンコ』、『ケンちゃんちのお姉さん』」『キネマ旬報』第875号(通号1689)、キネマ旬報社、1983年12月、174-176頁、doi:10.11501/7905945国立国会図書館書誌ID:4912-d7905945
  33. ^ 竹村博「ただいま撮影中 海嶺」[28]、「『海嶺』」[29]、八森稔「『地平線』『海嶺』ルポ[30]、小藤田千栄子「『海嶺』」[31]、「日本映画紹介 『海嶺』」[32]
  34. ^ 加藤季子「私が読んだ本 三浦綾子著『海嶺』」『愛育』第58巻第4号46-47頁(恩賜財団母子愛育会、1993年4月、doi:10.11501/2268402
  35. ^





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