山形大学編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 23:29 UTC 版)
「山形県は歴史的な遺跡が多く、郷土史研究の盛んなところと聞いていますので、これからは研究のひまをみては遺跡めぐりでもしたいと思っています。とくに地球科学教室の先生がたは若く、国際的にも著名な研究発表をされているので、こんごの研究活動にかんしては日本の地球科学分野において注目されている教室ではないかと思っています。私もこのようなめぐまれた研究環境、自然環境の中で研究活動が出来ることは大変有意義な人生をおくることが出来るのではないかと思っています。」『理学部だより』の「新任のあいさつ」より抜粋。 「かぎられた地球船の中で50〜60億の人間が生きのびるためには、地球科学という新しい綜合科学としての学問がどのように人類に貢献出来るかということを諸君達は冷静に考える必要があるのではないでしょうか。21世紀はもう目の前に来ています。新らしい目標に向ってチャレンジする気持ちを忘れず明日の地球科学のためにがんばる新入学生に期待します。」『理学部だより』の「地球科学科の新入生諸君へ」より抜粋。 「先生は学生をことのほか可愛がられました。先生の研究室には、一升瓶がいつも備えてあり、夕方になると、近くのスーパーから酒のつまみの入ったビニール袋を下げて帰られる先生のお姿をよくお見かけしたものでした。そして深夜近くまで学生と杯を交わしながら、広く世界を歩かれたご体験を元に、学問のこと、社会のこと、あるいは人生について、学生に教えてくださったそうですね。先生のこうした教育のために、先生の講座は地球科学教室で、学生に最も人気がありました。毎年6月になって、学生が卒業論文を書くために講座に分かれる時がくると、先生の講座に学生がどっと集まって、私ども他の3つの講座では、学生を説得するのに大変苦労したのですよ。しかし、先生はどの講座の学生であろうと、別け隔てなく相談にのり、親身になって就職のお世話をしてくださいました。」山形大学理学部地球科学科学科主任の齋藤常正教授(当時)による弔辞より抜粋。 「資源科学的研究と平行して、先生は教育にも情熱を注がれました。例えば、資源科学の授業内容を毎年のように組み換えられ、同時に膨大なプリント資料も作り直されました。新学期が近づくと授業計画表を片手に、「今度はこういう流れにしてみたんだ。どうだ。だんだんこっちも分かってきたぞ」と嬉しそうに仰るので、「こんな授業は一橋の大学院生か通産省や外務省の若手官僚に聞かせないと、学部学生には高度すぎて無理ですよ」と冷やかすと、「いいの、いいの。そのうちジワジワ効いて来るんだから」とまた楽しそうに準備を続けられたものでした。」山形大学理学部地球科学科の原田憲一助教授(当時)による追悼文より抜粋。 「21年の人生の中で私のことをほめてくれた先生は大町先生だけです。うれしかった、とっても。」ある4年生。 「日頃も先生の話が速くてよく聞き取れませんでしたが、私としてはお酒を飲んだときの先生の話を聴き取るのはもっと大変でした。」韓国からの留学生修士2年。 「先生、私のおムコさんを決めて下さるというお話はどうなってしまうのですか。」ある3年生。
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