山形大学医学部の改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 00:38 UTC 版)
附属病院の収益を黒字化させるとともに、組織規模を拡張し、最新設備(たとえば、世界で3台目の術中MRI)を導入。そして、2006年には国立大学医学部で初のがんセンターを創設。ほかにも、24時間の保育所の設置、「診療の危険度」に応じた手当の新設、スチューデント・ドクター制の導入などを行った。さらに、医学部の「ブランド化」に取り組み、学力重視、地元枠否定の入試改革、授業改革を実施し、2007年には医師国家試験合格率を国立大学で全国一位に引き上げるなど、「世界トップクラスのメディカル・センター」を目指した改革を実行した。たとえば、当時の入試改革について嘉山は次のように振り返っている。 〔かつての入試は〕面接点が200点なのです。試験が600点ですから、200点というのはすごく大きい。地元の受験生に「あなたは山形に残りますか」といって、首を縦に振れば合格ということですから、たぶん他大学と比べて学力差はかなりあったんですね。(中略)教育者として、そういう試験をやってはならないと教授会を突破しました。反対した人もいたのです。しかし、「山形に残したいのなら、いい教育をして、自分たちの教室を世界的にしてください」という正論を吐いて通しました。 実際に、その結果、卒業生の県内残留率は、以前の20~30名から、大学で40人、県全体では60名に増加している。 また、文科省のCOE関連では、自らが研究代表者を務める「分子疫学の国際教育研究ネットワークの構築」が、河田純男が中心となった21世紀COEプログラムに引き続いて、国際的な教育研究拠点形成を行うグローバルCOEプログラムに採択された(2009年~)。 さらに、自らが委員長を務める「地域医療医師派遣適正配置委員会」では、地域の病院に派遣した医師を引き上げる際などに派遣先の病院長の意向を聞いて調整するという全国初の取り組みを実施し、医師配置の体制を整えた。
※この「山形大学医学部の改革」の解説は、「嘉山孝正」の解説の一部です。
「山形大学医学部の改革」を含む「嘉山孝正」の記事については、「嘉山孝正」の概要を参照ください。
- 山形大学医学部の改革のページへのリンク