山中での判断ミス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 08:36 UTC 版)
「吾妻連峰雪山遭難事故」の記事における「山中での判断ミス」の解説
登山口を過ぎた時点か、遅くとも慶応山荘手前の時点で既に疲労のため遅れるメンバーが出たにもかかわらず、7人は管理人が常駐している「慶応吾妻山荘」へ泊まる決断やそこでの一時休憩をせず、そのまま予定通り、本来は宿泊場所とはなっていない家形山避難小屋へ泊まった。このためメンバーは準備不足の影響もあり、天気予報などの情報を得られる最後の機会を逃してしまった。そのうえ、休息より宴会などを行い、十分に睡眠や暖も取らぬままに12日を迎えることになった。 11日時点での計画の遅延の発生や12日には猛吹雪のためビバークを実施する状況となったうえ、状況悪化を防ぐために天候が回復するまでビバークを継続する案があったにもかかわらず、14日月曜日のそれぞれの出勤を優先。そのため、13日日曜日のうちに東京へ戻るか、少なくとも会社や自宅への連絡を重視した結果、13日の「猛吹雪の中での下山強行」を招いてしまった。 12日の霧の平への道を見つけられなかった時点か、この間に起きたスキー板の滑り止めシールが剥がれるトラブルなどをきっかけに、撤退する決断(この場合なら家形山避難小屋に引き返すなど)をせず、分岐点の捜索を続行したことも判断ミスの一つだった。冬山では早朝出発し、正午から下山をするか撤退するのが常識だが、この日の夜にビバークを決断するまで彷徨を続けたため体力消耗を招いた。 また気温の低下も含めた低体温症に関する知識がなかった。実際、7人は白浜で低体温症に陥ったメンバーを雪洞に入れただけで、体を温めるなどの処置を取らなかった。そのうえ、動けなくなったメンバー1人を助けるため全員が強風や雪崩の危険区域に留まった結果、他のメンバーが次々と低体温症を発症させてしまった。さらに、7人は朝食以外食事をとることができなかった。 1997年にリーダーの友人が有志を募って『1994年2月吾妻連峰山スキー遭難事故報告書』を自費出版で発表しており、遭難の原因として「装備の不備と共に、雪の滑川温泉という魅力的な目的地に捉われた結果、別のルートをとるという選択ができなくなってしまった」という点を指摘している。
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