山中の猫又とは? わかりやすく解説

山中の猫又

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 04:30 UTC 版)

猫又」の記事における「山中の猫又」の解説

中国では日本より古く時代には「猫鬼びょうき)」「金花」といった怪猫の話が伝えられていたが、日本においては鎌倉時代前期藤原定家による『明月記』の天福元年1233年8月2日記事に、南都(現・奈良県)で「胯」が一晩数人人間食い殺した という記述がある。これが、猫又文献上に登場した初出とされており、猫又山中として語られていた。ただし『明月記』の猫又容姿について「目はネコのごとく、体は大きのようだった」と記されていることから、ネコ化け物かどうか疑問視する声もあり、人間が「猫跨病」という病気苦しんだという記述があるため、狂犬病かかったその実体との解釈もある。また鎌倉時代後期随筆徒然草』(1331年頃)に「奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなると人の言ひけるに……」と記されている(第89段)。 江戸時代怪談集である『宿直草』や『曽呂利物語でも、猫又山奥潜んでいるものとされ、深山人間化けて現れ猫又の話があり、民間伝承においても山間部猫又の話は多い。山中の猫又は後世文献になるほど大型化する傾向にあり、1685年貞享2年)の『新著聞集』紀伊国山中で捕えられた猫又イノシシほどの大きさとあり、1775年安永4年)の『倭訓栞』では、猫又鳴き声山中響き渡った記述されていることから、ライオンヒョウほどの大きさだったと見られている。1809年文化6年)の『寓意草』でくわえていたという猫又全長9尺5寸(約2.8メートル)とある。 越中国(現・富山県)で猫又人々食い殺したといわれる猫又山会津現・福島県)で猫又人間化けて人をたぶらかしたという猫魔ヶ岳のように、猫又伝説そのまま山の名となっている場合もある。猫又山については民間伝承のみならず実際に山中大きなネコ住みついていて人間襲ったものとも見られている。

※この「山中の猫又」の解説は、「猫又」の解説の一部です。
「山中の猫又」を含む「猫又」の記事については、「猫又」の概要を参照ください。

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