尊円法親王と世尊寺家とは? わかりやすく解説

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尊円法親王と世尊寺家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 04:54 UTC 版)

世尊寺行尹」の記事における「尊円法親王と世尊寺家」の解説

行房・行尹の兄弟尊円法親王書法指導行った尊円法親王は『入木抄』という書論著者として、また、御家流創始者として日本の書道史上に欠くことのできない存在であり、その書流は明治時代になるまで和様書道中心的書風として知られる御家流尊円流)の流行 室町時代後期一条兼良編纂したとされる尺素往来』によると、「近日は、尊円親王の書が流行兆し見せはじめ、全国津々浦々行われた。(趣意)」とある。また、六朝書道論付録の「六名家書談」で日下部鳴鶴は、「徳川末期書風尊円親王から出た御家流といふ書風が行はれて居(を)って、当時在っては、御家流にあらざれば書にして書にあらずといふやうな偏見一般頭脳に留まって居ったことは事実である。(中略当時公文書御家流限られあったか一般民間書風も、全然御家流天下であったのである。」と記しているように、御家流尊円流)は室町時代後期から明治時代初期に至るまで全国広まっていたことがわかる。 正平7年/文和元年1352年11月14日尊円法親王55歳のとき、行房・行尹兄弟から受けた秘説思い出すままに記した入木口伝抄』という本が遺っており、その奥書に、尊円法親王と世尊寺家との関係を語っている。以下、その内容要約する『入木口伝抄』の奥書 応長元年1311年12月尊円法親王14歳入木道志し、経尹を師匠として入門要請した。経尹は尊円の腕前を知るため、覚尹僧都(経尹の第5子、延暦寺の僧)を使いとして、尊円の筆跡要求してきた。尊円は一紙書き送ったところ、見所があるから稽古を積むようにとの返答が来たが、経尹はすでに65歳であったので、老体理由師範拒否し代わりに子の行尹を「器量の者」として推薦してきた。そして、尊円は行尹について16歳まで2年間、精進重ね、行尹も熱心に教えた。尊円はぐんぐんと腕をあげていったが、17歳になると尊円は修行忙しくなり、手習い時間なくなった文保のころに、行尹は籠絡されて鎌倉没落したので、尊円は師匠失ってしまったが、行尹が帰洛するまでの間、行尹の兄・行房代わりに多く口伝授けてくれた。 『入木口伝抄』には、秘伝受けた年月日記録されており、それによると、元亨2年1322年3月25日(尊円25歳)からの記録となる。この時、行尹はすでに鎌倉にいたので、この聞書執筆行房師匠としてからのことである。例えば、「嘉暦三年四月八日行房朝臣来。額事習之。問云、(中略)。答云、(後略)」などとあり、その質疑問答形式によって示されている。帰洛してからの行尹の講説もある。

※この「尊円法親王と世尊寺家」の解説は、「世尊寺行尹」の解説の一部です。
「尊円法親王と世尊寺家」を含む「世尊寺行尹」の記事については、「世尊寺行尹」の概要を参照ください。

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