実証主義の完成
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「オーギュスト・コント」の記事における「実証主義の完成」の解説
『実証哲学講義』は最初の第一巻の刊行に着手する段階に到達して、1830年7月に出版された。 この1830年7月は七月革命の年に当たり、シャルル10世が退位してオルレアン公ルイ・フィリップが王位に即位した。また、コントはこの講義とは別に証券取引所に近いブティ・ペールの区役所ホールを借りてプロレタリアートのための科学に関する無料の公演会を開催した。この公演は18年間続けられ、1844年『通俗天文学』と呼ばれる著作に纏められた。この『通俗天文学』の序論が『実証精神論』となった。この『実証精神論』はコント思想の要約としての地位を占めていった。 詳細は「フランス7月革命」を参照 『実証哲学講義』の授業が完結するのは1829年の冬であった。講義の中断中にコントが自殺未遂事件を起こすなどの試練を経て講義を終えたコントは、この講義をもとに書物としての『実証哲学講義』の刊行に取りかかる。1830-1842年までの12年間で、コントは全六巻にわたる『実証哲学講義』(フランス語: Cours de philosophie positive、1830年-1842年)を書き上げていき、諸科学の性格を総括してそのイエラルシーを体系化、独自の科学哲学を開いていく。本書は近代科学の総決算としての性格を帯びており、学術研究のすべてを自然科学から社会科学へと横断的に取り扱ったもので、その結果、コントの生涯で最大の業績となった。 ここでの論点は大きく分けて二つ挙げられる。まず、「科学分類の方法」を用いて、諸科学の体系化を進めた。学問の体系を数学から発展して物理学、化学、生物学を経て、抽象から具体へと発展する、概念から自然を経て人間へと到達するものとして構築していった。そして、最終的には人間社会を対象とする学問、社会学(総合社会学)に到達するという科学的精神の発展の見取り図を描いた。さらに、物理学を理想的な科学モデルとする実証主義の研究方法論を打ち出して科学研究の領域と手法を定めた上で、実験と観察による法則的な事実の探求を近代科学の基礎とした。コントは、コンドルセの思想を発展させて「三段階の法則」に基づくヨーロッパ世界の近代化論を提示し、科学史と社会変動論を歴史学に織り込んだ歴史哲学を構想した。科学と人間精神の発展過程を科学史によって後付け、人間の文化的段階・社会的段階がどのようにして神学的/形而上学的/実証主義的段階へと発展していったのかを詳細に論じた。 詳細は「実証哲学講義」を参照 1842年夏、『実証哲学講義』の最終巻が出版され、全六巻四千頁に上る12年間の事業を完成された。まもなく、コントは大作となった『実証哲学講義』のコンパクトな解説書として『実証精神論』(フランス語: Discours sur l'esprit positif, 1844年)を書いた。 詳細は「実証精神論」を参照
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