実証主義への反省
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 08:46 UTC 版)
ホイジンガは『中世の秋』(1919年)の中で、フロワサールやシャトランらが書いた年代記を史料としている。年代記は筆者の創作が含まれ、誤りも多いとして、実証主義の歴史家からは顧みられなかったものであるが、その中から中世に生きた人々の感情が捉えられる、とした。アナール学派からは「偽文書であってもそれを作った人の意図を知ることができる」という主張が出された。また、ある文献史料が残っているのは意図的に残されたものであるともいえる[独自研究?]。例えば、土地の寄進や売買に関わる文書は残りやすいが、普通の商品売買に関わるものは(作られたとしても)ほとんど残ることがない。
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