官歴など
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『続日本紀』による。 天平7年(735年) 4月23日:従四位下 天平勝宝6年(754年) 正月16日:従四位上。7月20日:造山司(藤原宮子)。11月1日:畿内巡察使 時期不明:弾正尹 天平勝宝8年(756年) 12月30日:講梵網経の元興寺使 天平勝宝9年(757年) 5月20日:正四位上、6月16日:刑部卿 時期不明:摂津大夫 天平宝字2年(758年) 8月1日:従三位。8月19日:伊勢神宮へ派遣される 天平宝字3年(759年) 6月16日:親王宣下、三品。7月3日:糾政尹 天平宝字4年(760年) 6月7日:山作司(光明皇后) 天平宝字5年(761年) 10月11日:稲十万束を下賜 天平宝字8年(764年) 10月9日:諸王へ戻される、土佐国へ流罪
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官歴など
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注記のないものは『日本三代実録』による。 貞観12年(870年) 2月14日:臣籍降下(源朝臣) 時期不詳:出家(法名・空性) 元慶8年(884年) 6月2日:時服月俸給 寛平8年(896年) 11月:還俗[要出典] 時期不詳:従四位上。美濃権守 延喜7年(907年) 7月28日:卒去
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官歴など
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※日付=旧暦(明治5年12月2日まで) 正和3年(1314年) 11月19日:従五位下に叙し、蔵人に補す。 文保元年(1317年) 2月5日:右少弁に任官。12月22日:左少弁に遷任。 文保2年(1318年) 1月22日:従四位下に昇叙。2月26日:花園上皇の院司に連なる。5月28日:文章博士を兼任。8月24日:記録所寄人に補す。10月6日:従四位上に昇叙。11月3日:権右中弁に転任し、文章博士・記録所寄人如元。 文保3年(1319年) 3月9日:右中弁に遷任、文章博士・記録所寄人如元。8月5日:春宮亮を兼任(春宮:邦良親王)。 元応2年(1320年) 3月24日:蔵人頭に補任、右中弁・文章博士・春宮亮如元。10月22日:右兵衛督を兼任。 元亨元年(1321年) 4月6日:参議に補任、左兵衛督を兼任、文章博士如元。時に正四位下。 元亨2年(1322年) 1月6日:正四位上に昇叙。1月26日:山城権守を兼任。6月17日:文章博士を止む。 元亨3年(1323年) 1月5日:従三位に昇叙、参議・左兵衛督如元。1月13日:検非違使別当を兼任。11月5日:検非違使別当を辞す。 11月6日:春に鎌倉で起こった大地震の、見舞いの勅使として鎌倉に下向。 元亨4年(1324年) 4月27日:権中納言に転任。日付不詳:権中納言を辞任。9月19日:正中の変により捕縛。 正中2(1325年) 8月:佐渡国に配流。 元弘2年/正慶元年(1332年) 6月2日:斬首。享年43。 明治9年(1876年) 5月:佐渡市真野鎮座の真野宮に祭神として合祀。 明治17年(1884年) 2月22日:贈従二位。
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