官歴と所領推移
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天正元年(1573年)、近江国唐国(滋賀県長浜市唐国町)に400石を領す。 天正3年(1577年)、播磨国有年(兵庫県赤穂市有年)に700石を加増。 天正10年9月25日(1582年10月21日)、播磨国印南郡(兵庫県南部地域)に500石を加増。 天正11年8月1日(1583年9月16日)、河内国禁野(大阪府枚方市禁野本町あたり)に361石を加増。 天正12年(1584年)9月、近江国長浜城主となって、5,000石を領す。 天正13年6月2日(1585年6月29日)、若狭国高浜城主となって1万9,870石を領す。8月、豊臣秀次の宿老となる。閏8月21日(10月21日)、近江国長浜城主となって2万石を領す。 天正13年(1585年)9月~天正14年(1586年)4月 正五位下対馬守に叙任(『一豊公記』)。なお豊臣家臣で一豊と同格の人物の多くは当時従五位下に叙せられているため、正五位下ではなく従五位下の誤記ではないかとの説もある。 天正18年9月20日(1590年10月21日)、遠江国掛川城主として5万石を領す。さらに10月25日(11月22日)、遠江国周智郡一宮(静岡県周智郡森町一宮)1万9980石の代官にもなる。 文禄3年9月21日(1594年11月2日)、伊勢国鈴鹿郡(三重県鈴鹿市)で1,000石加増。 文禄4年7月15日(1595年8月26日)、遠江国内の豊臣秀次所有の蔵入地より8,000石を加増。 慶長5年(1600年)11月、土佐国内9万8,000石(後の検地で20万2,600石)を領有する大名となる。 慶長8年3月25日(1603年5月6日)、従四位下に昇叙し、土佐守に転任する(『徳川実紀』)。 慶長10年9月20日(1605年11月1日)、卒去。 1919年(大正8年)11月15日、贈従三位。
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