完全引退へとは? わかりやすく解説

完全引退へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 18:13 UTC 版)

京阪1900系電車」の記事における「完全引退へ」の解説

最後まで残っていた2編成については、2008年4月15日の新CIロゴ発表時に系列同様にロゴ先頭車側面運転席側の車体貼付したが、10月18日中之島線開業前をもって通常運用から離脱し、また1900系自体同年12月20日をもって引退することも同時に発表された。これにより、10月1日より、「さようなら、ありがとう。」の特製ヘッドマーク掲出して運転された。運用最終平日となる10月17日には、先頭車前面鳩マーク装着して朝のK特急おりひめ」(私市淀屋橋)と夕方準急ひこぼし」(天満橋私市)に充当された。なお、通常運用としての使用としての最終運用は、その翌日天満橋駅16時29分発の区間急行萱島行きであったその後同年12月20日には両編成によるイベント列車淀屋橋三条臨時特急として運転された。ここでは1919Fが「リバイバル比良号」、1929Fが「リバイバルびわこ号」として特製ヘッドマーク掲出するとともに前面特急車両時代の副標と鳩マーク取り付けられ側面扉横にかつてのサボ再現した特急」のステッカーが貼られた他、1929Fはフェイスデザインがアルミテープ簡易的特急車両時代のものに復元された。(側面方向幕黒幕)しかしそのラストランまでに、新CIロゴ撤去された。また、2008年夏より中之島線開業に向け、新型車両3000系 (2代)が試運転開始し1900系と顔を並べ場面見られた。 運行終了 さよならイベント後、2編成共に淀車庫留置されていたが、12月26日夜に解体工場のある寝屋川車庫まで自走回送された。その後12月31日付で除籍廃車となり、年が明けた2009年平成21年1月中旬より1929F→1919Fの順に解体された。 こうして、新造車では最長45年9か月1810系編入車で最長52年間に渡って運行され本系列はここに全廃となった。さらに併せて3扉ロングシート通勤型車両としての片開き扉車、およびWNドライブ駆動方式車両京阪から完全に姿を消した中之島線への入線 最後まで残った1919F、1929Fの2編成は、前述通り中之島線開業前日に定期運用終え12月さよなら運転をもって引退したため定期運用中之島線入線した事はないが、2008年10月19日中之島線開業先立って同年8月1日ら行われた中之島線試運転の期間中に両編成とも入線実績がある。

※この「完全引退へ」の解説は、「京阪1900系電車」の解説の一部です。
「完全引退へ」を含む「京阪1900系電車」の記事については、「京阪1900系電車」の概要を参照ください。

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