完全復活と和解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 06:49 UTC 版)
「ダルトン・トランボ」の記事における「完全復活と和解」の解説
実名でハリウッドに復帰した後、『脱獄』『パピヨン』などの脚本に関わった。また、長年映画化を希望していた自作の小説『ジョニーは戦場へ行った』を、自らの監督作品として原作・脚本を兼ね、自ら資金も調達して製作した。1971年に公開され、アメリカでは興行的に失敗したが、カンヌ国際映画祭では審査員特別グランプリ、FIPRESCI(国際映画批評家連盟)賞、国際エヴァンジェリ映画委員会賞を受賞した。 1970年、全米脚本家組合から功労賞を送られた。これは「ブラックリスト」に載せられたトランボへの「和解」を意味することになった。1975年5月5日、映画芸術科学アカデミーから、『黒い牡牛』に対するアカデミー原案賞としてオスカー像のレプリカが授与された。 1976年9月10日、ハリウッドの自宅で心臓発作により死去。70歳。
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