安田案が土台に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 02:18 UTC 版)
1945年9月22日にアメリカ政府が発表した「降伏後における米国の初期の対日方針」は、その第4章「経済」のB項で、「日本の商業及び生産上の大部分を支配し来りたる産業上及び金融上の大コンビネーションの解体を促進」すると規定していた。アメリカなど連合国側には、財閥を「日本軍国主義を制度的に支援した」との認識があり、これを解体する事で軍国主義を根本的に壊滅できると考えていた。当初、日本政府は財閥解体には消極的だったが、三井財閥内で三井本社の解体論が台頭してきた事や、安田財閥の持株会社である安田保善社が、10月15日に自社の解散、安田一族の保善社及び傘下企業役員からの辞任、及び一族保有の株式を公開する方針を決定した事から「財閥解体やむなし」の方向に傾いた。 このような情勢下、GHQ経済科学局長レイモンド・C・クレーマー(Raymond C. Kramer)は10月16日に声明を発し、財閥解体に当たっては日本側の自発的な行動に期待し、GHQはそれを支援するに留めるが、日本側に積極的な動きが見られない場合は自ら実施に乗り出すとの姿勢を示した。これを受け、政府は三菱、住友を加えた4財閥やGHQと財閥解体に向けての協議を進め、11月4日、安田案を土台にした財閥解体計画案をGHQに提出した。骨子は以下の四項目である。 持株会社所有の有価証券、及びあらゆる企業に対する所有権・管理・利権を示す商標を、日本政府が設ける機関に移管する 上記移管財産に対する弁済は、10年間の譲渡・換価を禁じた登録国債で支払う 三井、岩崎(三菱)、住友、安田4家構成員、持株会社取締役・監査役の産業界からの追放 持株会社による傘下企業に対する指令権・管理権の行使を禁止する ウィキソースに「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ發スル命令ニ關スル件ニ基ク會社ノ解散ノ制限等ノ件の原文があります。 11月6日、GHQ総司令官ダグラス・マッカーサーは、総司令官が日本政府案を修正し、また実施に際しての監督・検閲権を留保する事を条件に、日本政府案を承認した。これを受け日本政府は11月23日、勅令第657号「会社ノ解散ノ制限等ノ件」を公布。大蔵大臣に(1)資本金500万円以上の会社及び大蔵大臣の指定する会社の解散または事業譲渡に対する認可権、(2)三井本社、三菱本社、住友本社、安田保善社及び大蔵大臣の指定する会社が保有する動産・不動産・有価証券など財産の処分に対する許可権を与えた。この勅令をもって財閥解体は始まる。
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