太陽活動変動研究の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 18:44 UTC 版)
太陽活動の変化を捉える最も古くから続く記録は太陽黒点数の変化である。太陽黒点に関する最初の記録は、中国で紀元前800年頃に行われ、日付を確認できる最古の黒点の描写は西暦1128年のことであった。西暦1610年頃から、天文学者たちは天体望遠鏡を用い、太陽黒点とその活動について観測を開始した。初期の研究は、黒点現象そのものと振る舞いに重点がおかれた。発見以来、黒点の物理学的側面については1900年に至るまで解明されなかったが、観測は続けられた。太陽黒点に基づく太陽変動の研究は、1600年から1700年の間、現在ではマウンダー極小期として知られる太陽活動低下期に差し掛かって太陽黒点数が極端に減少したことから、低迷を余儀なくされる。その後1800年代に至ってようやく太陽活動の周期性を示唆するに十分な数の黒点観測記録が揃うことになった。1845年プリンストン大学の教授ジョセフ・ヘンリーとステフェン・アレクサンダー (天文学者) は、サーモパイルを用いて太陽を観測し、太陽黒点からの熱放出がそれ以外の太陽表面よりも小さいことを突き止めた。太陽表面には、平均よりも高い放出量を示す場所白斑があることも、後の観測から見出された。 1900年頃から、研究者たちは太陽活動と地球気象の相関に付いて探求を開始した。特筆すべきものとして、チャールズ・アボットによる一連の研究がある。アボットは、スミソニアン天体物理観測所すなわちSAOに、サミュエル・ラングレーの助手として入り、ラングレーの始めた太陽定数の研究に関わって、太陽放射量の変化を見出した。(太陽定数を参照) アボットの観測チームは、太陽放射量を計測する為、1909年に計測機器の開発を行った。後にアボットが、SAO所長に就任すると、観測チームによってチリのカラマに観測所が設けられ、ウィルソン山天文台の観測を補完するようになった。これら観測からアボットは、27調和周期、7,13,39か月の周期パターンが273か月のヘール周期内にあることを見出した。アボットは、月単位の諸都市の気温とその統計や太陽活動の統計の間に、地球の天候に結びつくようなものを探していた。同じ頃に、年輪年代学が登場したことで、ウァルド・グロックをはじめとするような科学者たちは、樹木の生長と太陽変動周期を1000年の規模での太陽定数の長期的な変動の連関に結び付けようと試みた。 統計学的研究、すなわち太陽活動に関する気象と気候の関係について、一般的に行われるようになったのは、ここ数百年程度であり、遡って1801年に ウィリアム・ハーシェルにより、小麦の価格と太陽黒点の記録に付いて明白な関連があるとする記述がなされている。 今や彼ら研究者たちは、太陽活動変動の効果が地球の気候システムを通して伝播される詳細な過程を調査するために合成、もしくは観測された太陽活動変動に関する地上観測網、および気象衛星観測からの結果、もしくは、「既知の」気候モデルへの「はめ込み」などから集成された、高密度かつ地球規模の観測データの集合体に取り組んでいる。
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