太宰治
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太宰 治(だざい おさむ、1909年〈明治42年〉6月19日 - 1948年〈昭和23年〉6月13日)は、日本の小説家。本名は津島 修治(つしま しゅうじ)。左翼活動での挫折後は、自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、第二次世界大戦前から戦後にかけて作品を次々に発表。主な作品に『走れメロス』『津軽』『人間失格』がある。没落した華族の女を主人公にした『斜陽』はベストセラーとなる。戦後はその作風から、坂口安吾、織田作之助、石川淳、檀一雄らとともに新戯作派、無頼派と称されたが、典型的な自己破滅型の私小説作家であった[4]。
注釈
- ^ 太宰が逗留した老舗旅館「ヤマニ仙遊館」は休業を経て2018年8月、土蔵をレストランとして再開した。太宰が使ったとされる文机などが残っている[16]。2019年4月27日には旅館業も再開した[17]。
- ^ なお、この処分については、担当の宇野検事がたまたま太宰の父の実家である松木家の親類であることや、担当の刑事がたまたま金木出身であることが太宰にとって有利に作用したとする説もある[26]。
- ^ 東京大学卒業に際して口頭試問を受けた時、教官の一人から「教員の名前が言えたら卒業させてやる」と言われたが、講義に出席していなかった太宰は教員の名前を一人も言えなかったと伝えられる。
- ^ 太宰治の作品に対しての著作権の保護期間は、第1次-第4次暫定延長措置及び1971年の改正著作権法が適用される。
- ^ 随筆『服装に就いて』[66]によれば5尺6寸5分(約171.7 cm)。
- ^ しかし『私の遍歴時代』[要ページ番号]では、それらを読んだことを「太宰氏のものを読みはじめるには、私にとつて最悪の選択であつたかもしれない」と三島は述べている。
- ^ 貴族の娘が台所のことを「お勝手」と言ったり、「お母さまの食事のいただき方」(正しくは「召上り方」)、「かず子や、お母さまがいま何をなさっているか、あててごらん」(自分に敬語を付けている)というような敬語の使い方の間違いを指摘している。
- ^ 戸板康二『泣きどころ人物誌』、瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』、出口裕弘『三島由紀夫・昭和の迷宮』などにその種の発言が記されている。[要ページ番号]
- ^ 『不道徳教育講座』や「奥野健男著『太宰治論』評」など。
出典
- ^ a b 『朝日新聞』東京西部版 2009年11月24日「カメラがとらえた作家太宰治 肖像写真86点展示 三鷹で来月23日まで/東京都」
- ^ “太宰治 “理系科目も優秀だった” 旧制中学校時代の成績表公開”. NHKニュース (2021年2月10日). 2021年2月18日閲覧。
- ^ 宇野俊一ほか編『日本全史(ジャパン・エミルカ‘クロニック)』講談社、1991年、1095頁。ISBN 4-06-203994-X。
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- ^ 野原 1998, p. 34.
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- ^ 猪瀬 2000, p. 50.
- ^ 『文豪たちの嘘つき本』、2023年4月20日発行、彩図社文芸部、彩図社、P17
- ^ 猪瀬 2000, p. 60.
- ^ 『読売新聞』夕刊2018年8月7日掲載「太宰が自殺未遂後療養、老舗旅館がレストランに」[リンク切れ](2018年8月9日閲覧)
- ^ 『読売新聞』朝刊2019年5月3日「太宰の宿 4年ぶり再開/宿泊再開 5時代続く」
- ^ 野原 1998, p. 62.
- ^ 猪瀬 2000, pp. 70–71.
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- ^ 甲信・静岡紀行 甲府・喜久乃湯温泉 太宰治 波乱の文豪、再生の地/山梨 - 毎日新聞・2022年1月11日
- ^ きらら山口
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- ^ 矢代静一「太宰治と三島由紀夫」(新潮 1998年7月号に掲載)
- ^ 野原一夫『回想 太宰治』(新潮社、1980年)[要ページ番号]
- ^ 三島由紀夫『小説家の休暇』(講談社 ミリオン・ブックス、1955年)
- ^ 三島由紀夫「学生とのティーチ・イン――国家革新の原理」(『文化防衛論』)(新潮社、1969年)
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- ^ 『座談会 昭和文学史 第三巻』(井上ひさし・小森陽一編著、集英社、2003年)
- ^ “井の頭公園に太宰治文学館/三鷹市が計画”. 『東奥日報』. (2017年1月24日) 2017年1月25日閲覧。
- ^ 文学施設の整備に向けた『基本的な考え方』をとりまとめました - 三鷹市ウェブサイト(2018年3月30日)
- ^ 太宰治文学サロン - 三鷹市(2020年10月4日閲覧)
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