太宰治 家族・親族

太宰治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/26 07:01 UTC 版)

家族・親族

津島家

(青森県北津軽郡金木村(のちの北津軽郡金木町、現・青森県五所川原市))
津島家の家系については様々な説があり、明確ではない。初代惣助は豆腐を売り歩く行商人だったという。1946年(昭和21年)に発表した『苦悩の年鑑』のなかで「私の生れた家には、誇るべき系図も何も無い。どこからか流れて来て、この津軽の北端に土着した百姓が、私たちの祖先なのに違ひない。私は、無智の、食ふや食はずの貧農の子孫である。私の家が多少でも青森県下に、名を知られ始めたのは、曾祖父惣助の時代からであつた」と書いている。惣助は売りの行商をしながら金貸しで身代を築いていったという。また、津島家は、旧対馬国から日本海を渡って津軽に定住した一族であるとする伝承もあり、菩提寺南台寺の墓碑でも祖先は“対馬姓”となっている。この“対馬姓”と刻まれたについて、太宰の甥津島康一俳優)は、「どっからかもってきたんじゃないかな」となにやら意味ありげな“対馬姓”の刻名を信用していない口ぶりで「うちの系図はやばいんですよ」と恥ずかしそうに述べている[72]
津島家を県下有数の大地主に押し上げた三代目惣助は嘉瀬村の山中家出身で、元の名を勇之助といった。1835年天保6年)に大百姓・山中久五郎の次男として生まれ、1859年安政6年)津島家の婿養子となった。山中家の先祖は、「能登国山中庄山中城主の一族」だったと伝えられている。1867年慶応3年)に二代目惣助が他界し、家督を相続して三代目「惣助」を襲名した。油売りのほか、木綿などの繊維製品も扱い、金貸しで財を蓄えて新興の大地主となった。1894年明治27年)に北津軽郡会議員の大地主互選議員に当選、1895年(明治28年)に北津軽郡所得税調査委員選挙に当選。1897年(明治30年)、合資会社「金木銀行」を設立。再び郡会の大地主議員となり、県内多額納税者番付の12位に入って貴族院議員の互選資格を手に入れた。無名の金貸し惣助からちょっとした地方名士として名を成したのであった。
跡取りがいなかったため婿養子・惣五郎を迎える。惣五郎にも跡取りがいなかったため源右衛門が婿養子となった[73]家紋は「鶴の丸」である。金木の生家は源右衛門が建造したもので、太宰治記念館 「斜陽館」として公開され、国の重要文化財に指定されている。

両親

父・源右衛門
1871年(明治3年)生 - 1923年(大正12年)没
松木家から婿養子として津島家に入った。病弱な惣五郎に代わって惣助から家督を譲られる[73]1901年(明治34年)県会議員に当選。1922年(大正11年)に貴族院議員となるが、翌年肺臓がんで死去。
母・たね(夕子)
1873年(明治6年)生 - 1942年(昭和17年)没
惣五郎の長女。太宰含め七男四女を生む。69歳で死去。

兄弟姉妹

※がついている人物は太宰に先立って死去している。

三男(長兄)・文治
長男・総一郎、次男・勤三郎が早世したため、津島家の跡継ぎとなる。金木町長、青森県知事、衆議院議員、参議院議員を歴任。長男の康一は俳優。
四男(次兄)・英治
金木町長。孫の恭一は元衆議院議員。
五男(三兄)・圭治※
東京美術学校彫塑科に進学。太宰の同人誌「細胞文芸」に「夢川利一」のペンネームでエッセイを寄稿している[74]。結核により28歳で死去。
七男(弟)・礼治※
敗血症で18歳で病死。
長女(長姉)・たま※
1889年 - 1912年。
平山良太郎を婿養子に迎えるが、結婚後に22歳で死去。このとき太宰3歳。
次女(次姉)・トシ
1894年 - 1951年。
津島市太郎夫人
三女(三姉)・アイ※
1904年 - 1937年。
津島正雄夫人
四女(四姉)・キョウ※
1906年 - 1945年。
小館貞一夫人。小館保、小館善四郎は義弟。終戦からちょうど3か月後に死去。

妻子

妻・美知子
東京女子師範学校卒業後、都留高等女学校で歴史・地理の教師をしていた。26歳で太宰と見合い、翌年結婚。
長女・園子
夫は元衆議院議員津島雄二 (旧姓・上野)。長男のも衆議院議員。2020年4月20日、呼吸不全により78歳で死去[75]
長男・正樹
ダウン症であった。肺炎により15歳で死去。
次女・里子
小説家の津島佑子
太田治子
小説家。愛人・太田静子との間の娘。

松木家

木造村の松木家は、金木の津島家や、三代目惣助が出た嘉瀬の山中家よりもはるかに格式の高い旧家である。藩政時代には苗字帯刀を許された郷士だった。
『松木家由緒書』などによると、先祖は若狭国小浜(現・福井県)の商人で、万治年間(1658-60年)に弘前にやってきて、羽二重の商いをしていた。寛文年間(1661-72年)津軽藩の新田開発が始まると木造に移り住み、開墾の功を認められ大庄屋郷士になった。明治に入って、八代目七右衛門の時代に、薬種問屋屋号松樹堂)に転業するまで、代々造り酒屋を営んでいた。

親族

家系図

 
 
 
 
 
 
石原初太郎
 
 
 
津島源右衛門
 
たね
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
石原明
 
美知子
 
太宰治(津島修治)
 
太田静子
 
津島英治
 
津島文治
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
津島雄二
 
園子
 
正樹
 
里子(津島佑子
 
太田治子
 
津島一雄
 
津島康一
 
 
田沢吉郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
津島淳
 
 
 
 
 
 
 
石原燃
 
 
 
 
 
津島恭一

注釈

  1. ^ 太宰が逗留した老舗旅館「ヤマニ仙遊館」は休業を経て2018年8月、土蔵をレストランとして再開した。太宰が使ったとされる文机などが残っている。『読売新聞』夕刊2018年8月7日掲載「太宰が自殺未遂後療養、老舗旅館がレストランに」(2018年8月9日閲覧)。2019年4月27日には旅館業も再開した(『読売新聞』朝刊2019年5月3日「太宰の宿 4年ぶり再開/宿泊再開 5時代続く」)。
  2. ^ なお、この処分については、担当の宇野検事がたまたま太宰の父の実家である松木家の親類であることや、担当の刑事がたまたま金木出身であることが太宰にとって有利に作用したとする説もある(中畑慶吉の談話)。
  3. ^ 東京大学卒業に際して口頭試問を受けた時、教官の一人から「教員の名前が言えたら卒業させてやる」と言われたが、講義に出席していなかった太宰は教員の名前を一人も言えなかったと伝えられる。
  4. ^ 随筆『服装に就いて』[55]によれば5尺6寸5分(約171.7cm)。
  5. ^ しかし『私の遍歴時代』では、それらを読んだことを「太宰氏のものを読みはじめるには、私にとつて最悪の選択であつたかもしれない」と三島は述べている。
  6. ^ 貴族の娘が台所のことを「お勝手」と言ったり、「お母さまの食事のいただき方」(正しくは「召上り方」)、「かず子や、お母さまがいま何をなさっているか、あててごらん」(自分に敬語を付けている)というような敬語の使い方の間違いを指摘している。
  7. ^ 戸板康二『泣きどころ人物誌』、瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』、出口裕弘『三島由紀夫・昭和の迷宮』などにその種の発言が記されている。
  8. ^ 不道徳教育講座』や「奥野健男著『太宰治論』評」など。

出典

  1. ^ a b 朝日新聞』東京西部版 2009年11月24日「カメラがとらえた作家太宰治 肖像写真86点展示 三鷹で来月23日まで/東京都」
  2. ^ 宇野俊一ほか編 『日本全史(ジャパン・エミルカ‘クロニック)』 講談社、1991年、1095頁。ISBN 4-06-203994-X
  3. ^ コトバンク - 太宰治”. 2019年10月12日閲覧。
  4. ^ 野原 1998, p. 34.
  5. ^ 野原 1998, p. 35.
  6. ^ 野原 1998, p. 40.
  7. ^ 野原 1998, p. 44.
  8. ^ 野原 1998, p. 47.
  9. ^ 猪瀬 2000, p. 31.
  10. ^ 野原 1998, p. 51.
  11. ^ 猪瀬 2000, p. 50.
  12. ^ 猪瀬 2000, p. 60.
  13. ^ 野原 1998, p. 62.
  14. ^ 猪瀬 2000, pp. 70-71.
  15. ^ a b c 『太宰治に出会った日』所収、平岡敏男「若き日の太宰治」39-40頁
  16. ^ 猪瀬 2000, p. 110.
  17. ^ 猪瀬 2000, p. 109.
  18. ^ 猪瀬 2000, p. 125.
  19. ^ 猪瀬 2000, p. 132.
  20. ^ 野原 1998, p. 89.
  21. ^ 猪瀬 2000, p. 135.
  22. ^ 猪瀬 2000, p. 136.
  23. ^ 猪瀬 2000, p. 199.
  24. ^ きらら山口
  25. ^ 野原 1998, p. 117.
  26. ^ 猪瀬 2000, p. 257.
  27. ^ 猪瀬 2000, pp. 258-259.
  28. ^ 猪瀬 2000, p. 263.
  29. ^ 猪瀬 2000, p. 266-269.
  30. ^ 猪瀬 2000, pp. 275-276.
  31. ^ 猪瀬 2000, pp. 284-290.
  32. ^ 猪瀬 2000, pp. 296-299.
  33. ^ 野原 1998, pp. 213-214.
  34. ^ 猪瀬 2000, p. 351.
  35. ^ 猪瀬 2000, pp. 395-396.
  36. ^ 野原 1998, pp. 366-367.
  37. ^ 猪瀬 2000, pp. 402-406.
  38. ^ 野原 1998, p. 420.
  39. ^ 猪瀬 2000, p. 451.
  40. ^ 猪瀬 2000, pp. 439-440.
  41. ^ 猪瀬 2000, pp. 455-456.
  42. ^ a b c 『太宰治に出会った日』82-83頁
  43. ^ 新潮』1998年7月号に原文資料掲載、『朝日新聞』1998年5月24日記事。
  44. ^ 『太宰治全集 第9巻』筑摩書房、1990年10月25日、474頁。解題(山内祥史)より。
  45. ^ 太宰治の作品に対しての著作権の保護期間は、第1次-第4次暫定延長措置及び1971年の改正著作権法が適用される。
  46. ^ 猪瀬 2000, pp. 54-55.
  47. ^ 猪瀬 2000, pp. 55-60.
  48. ^ 猪瀬 2000, pp. 67-71.
  49. ^ 猪瀬 2000, p. 92.
  50. ^ 野原 1998, p. 78-79.
  51. ^ 猪瀬 2000, pp. 185-190.
  52. ^ 猪瀬 2000, p. 198.
  53. ^ 野原 1998, p. 106-108.
  54. ^ a b 嵐山光三郎『文人悪食』マガジンハウス、1997年、356頁。
  55. ^ 服装に就いて 青空文庫。
  56. ^ 津島 1997, p. 20.
  57. ^ 嵐山光三郎『文人悪食』マガジンハウス、1997年、364頁。
  58. ^ 大本泉『作家のごちそう帖』(平凡社新書 2014年pp.150-158)。
  59. ^ 津島 1997, pp. 80-81.
  60. ^ 津島 1997, p. 30.
  61. ^ 津島 1997, pp. 164-167.
  62. ^ 津島 1997, pp. 150-151.
  63. ^ 鉄道ファン 2011年3月号(通巻599号)p.68, 69
  64. ^ 陸橋(三鷹電車庫跨線橋)”. みたかナビ. 2017年10月9日閲覧。
  65. ^ 三鷹駅 「電車庫通り」を歩いて太宰治の散歩道だった跨線橋へ”. 朝日新聞デジタル (2015年10月6日). 2017年10月9日閲覧。
  66. ^ 「吉川英治氏が250万円で筆頭 芸能人の所得番付」『日本経済新聞』昭和24年4月12日2面
  67. ^ 番組エピソード 文豪の世界への誘い 〜大作家の作品のドラマ化〜 -NHKアーカイブス
  68. ^ 杉森久英『苦悩の旗手 太宰治』文藝春秋、1967年。
  69. ^ 太宰治著『女生徒』(角川文庫)、小山清の作品解説より。
  70. ^ “太宰作品にGHQ検閲=「神国」など削除指示-4短編集7作品、米で新資料”. 時事通信. (2009年7月31日). http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009073101151 
  71. ^ “韓国語版の太宰治全集 全10巻が完結”. 聯合ニュース. (2014年12月22日). http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2014/12/22/0400000000AJP20141222002600882.HTML 2015年4月28日閲覧。 
  72. ^ 鎌田慧著『津軽・斜陽の家 〜太宰治を生んだ「地主貴族」の光芒』81頁)
  73. ^ a b 猪瀬直樹 (2000). ピカレスク 太宰治伝. 小学館. pp. 35-36 
  74. ^ 猪瀬直樹 (2000). ピカレスク 太宰治伝. 小学館. pp. 88-90 
  75. ^ “津島園子さん死去 太宰治の長女”. 産経新聞 (産業経済新聞社). (2020年4月20日). https://www.sankei.com/life/news/200420/lif2004200020-n1.html 2020年4月20日閲覧。 
  76. ^ 朝日新聞2016年10月25日、37面
  77. ^ 安藤武「年譜」(三島由紀夫中世』)(講談社文芸文庫、1998年)
  78. ^ 三島由紀夫「川端康成への書簡 昭和22年10月8日付」(『川端康成・三島由紀夫 往復書簡』)(新潮社、1997年。新潮文庫、2000年)
  79. ^ a b 三島由紀夫「私の遍歴時代」(東京新聞夕刊 1963年1月10日 - 5月23日号に掲載)。『私の遍歴時代』(講談社、1964年)
  80. ^ 矢代静一「太宰治と三島由紀夫」(新潮 1998年7月号に掲載)
  81. ^ 野原一夫『回想 太宰治』(新潮社、1980年)
  82. ^ 三島由紀夫『小説家の休暇』(講談社 ミリオン・ブックス、1955年)
  83. ^ 三島由紀夫「学生とのティーチ・イン――国家革新の原理」(『文化防衛論』)(新潮社、1969年)
  84. ^ 村松剛『三島由紀夫の世界』(新潮社、1990年)
  85. ^ 井上ひさし・小森 陽一編著『座談会昭和文学史 第三巻』(集英社、2003年)
  86. ^ “井の頭公園に太宰治文学館/三鷹市が計画”. 東奥日報. (2017年1月24日). http://www.toonippo.co.jp/news_too/nto2017/20170124021799.asp 2017年1月25日閲覧。 
  87. ^ 文学施設の整備に向けた『基本的な考え方』をとりまとめました - 三鷹市ウェブサイト(2018年3月30日)





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