太宰治 エピソード

太宰治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 03:11 UTC 版)

エピソード

左翼活動

1929年(昭和4年)、弘前高校で校長の公金流用が発覚し、学生たちは上田重彦(石上玄一郎)社会科学研究会リーダーのもと5日間の同盟休校(ストライキ)を行い、校長の辞職、生徒の処分なしという成果を勝ち取る[50]。太宰はストライキにほとんど参加しなかったが、当時流行のプロレタリア文学を真似て、事件を『学生群』という小説にまとめ、上田に朗読して聞かせている[51]。津島家は太宰の左翼活動を警戒した。翌年1月16日、特高田中清玄武装共産党の末端活動家として動いていた上田ら弘高社研の学生9名を逮捕。3月3日、逮捕された上田ら4人は放校処分、3人が諭旨退学、2人が無期停学となっている[52]

大学生になった太宰は活動家の工藤永蔵と知り合い[53]共産党に毎月10円の資金カンパをする。初代との結婚で津島家を分家除籍にされたのは、政治家でもある文治に非合法活動の累が及ぶのを防ぐためでもあった[54]。結婚してからはシンパを匿うよう命令され、引っ越しを繰り返した。やがて警察にマークされるようになり、2度も留置所に入れられた[55]1932年(昭和7年)7月、文治は連絡のつかなかった太宰を探し当て、青森警察署に出頭させる。12月、青森検事局で誓約書に署名捺印して左翼活動から完全離脱した[56][57]

その他

  • 太宰の墓がある東京都三鷹市の禅林寺では、太宰と富栄の遺体が引き揚げられた6月19日には毎年多くの愛好家が訪れている。これは一般に「桜桃忌」と称されている。太宰の出身地・金木でも桜桃忌の行事を行っていたが「生誕地には生誕を祝う祭の方がふさわしい」という遺族の要望もあり、生誕90周年となる1999年平成11年)から「太宰治生誕祭」に名称を改めた。
  • 身長は175cm[58][注釈 5]と当時の男性としては大柄で、大食漢だった[58]。新婚当時、酒の肴に湯豆腐を好み、豆腐屋から何丁も豆腐を買っていたため近所の噂になるほどだった。太宰曰く「豆腐は酒の毒を消す。味噌汁煙草の毒を消す」とのことだったが、歯が悪いのと(後述)、何丁食べてもたかが知れているのが理由だった[60]。京都「大市」のスッポン料理や、三鷹の屋台「若松屋」のウナギ料理が好きだった。味の素が好きで、を丼に開け、味の素を大量にふりかけて食べた[61]。味噌汁も好きだった。生家が一時養鶏業をやっていたこともあり、鶏の解剖が隠れた趣味だった。戦時中、妻の美知子が三鷹の農家から生きた鶏1羽を買ってくると、自分でさばいて水炊きや鍋にして食べた[62][63]。短編『禁酒の心』にあるように酒もよく飲んだ。体に悪いと言われると「酒を飲まなければ、クスリをのむことになるが、いいか」と弁解した[64]
  • 足のサイズも11(約26.4cm)と大きく、甲高でもあったので足に合う足袋がなく苦労していた。戦後の戦災者への配給で兵隊靴(軍用ブーツ)を購入すると、これを気に入り愛用した。林忠彦が撮影した銀座の「ルパン」の写真で履いているのがこの兵隊靴である[65]
  • 虫歯だらけの「みそっ歯」だったが、美知子夫人の勧めで歯医者に通い、32歳でほとんど入れ歯にした[66]
  • 三鷹駅西側にある三鷹電車庫(現・三鷹車両センター)と中央本線をまたぐ跨線橋にはよく通ったという[67][68]。階段下に太宰が友人を案内したことがある旨を伝える説明板が設置されている[69]。2017年時点、この跨線橋は存在する。この三鷹車両庫跨線橋は1920年に架けられ、太宰は1939年から1948年まで三鷹に住んだ。JR東日本が維持管理してきた。年平均3500万円の点検修繕などの費用のために2018年JR東日本は三鷹市に譲渡を提案したが、必要な耐震改修工事をすれば、外観など文化的価値がそこなわれ、工事も深夜帯にかぎられるため費用がかさむとみられるなどのために市は譲受けを断念し、2021年9月7日、跨線橋の撤去が発表された[70][71]
  • 1949年4月11日、東京財務局が発表した所得番付では、100万円台の収入が記録されており、作家陣の中では上位となっている[72]

注釈

  1. ^ 太宰が逗留した老舗旅館「ヤマニ仙遊館」は休業を経て2018年8月、土蔵をレストランとして再開した。太宰が使ったとされる文机などが残っている[14]。2019年4月27日には旅館業も再開した[15]
  2. ^ なお、この処分については、担当の宇野検事がたまたま太宰の父の実家である松木家の親類であることや、担当の刑事がたまたま金木出身であることが太宰にとって有利に作用したとする説もある[23]
  3. ^ 東京大学卒業に際して口頭試問を受けた時、教官の一人から「教員の名前が言えたら卒業させてやる」と言われたが、講義に出席していなかった太宰は教員の名前を一人も言えなかったと伝えられる。
  4. ^ 太宰治の作品に対しての著作権の保護期間は、第1次-第4次暫定延長措置及び1971年の改正著作権法が適用される。
  5. ^ 随筆『服装に就いて』[59]によれば565(約171.7cm)。
  6. ^ しかし『私の遍歴時代[要ページ番号]では、それらを読んだことを「太宰氏のものを読みはじめるには、私にとつて最悪の選択であつたかもしれない」と三島は述べている。
  7. ^ 貴族の娘が台所のことを「お勝手」と言ったり、「お母さまの食事のいただき方」(正しくは「召上り方」)、「かず子や、お母さまがいま何をなさっているか、あててごらん」(自分に敬語を付けている)というような敬語の使い方の間違いを指摘している。
  8. ^ 戸板康二『泣きどころ人物誌』、瀬戸内寂聴『奇縁まんだら』、出口裕弘『三島由紀夫・昭和の迷宮』などにその種の発言が記されている。[要ページ番号]
  9. ^ 不道徳教育講座』や「奥野健男著『太宰治論』評」など。

出典

  1. ^ a b 朝日新聞』東京西部版 2009年11月24日「カメラがとらえた作家太宰治 肖像写真86点展示 三鷹で来月23日まで/東京都」
  2. ^ 太宰治 “理系科目も優秀だった” 旧制中学校時代の成績表公開”. NHKニュース (2021年2月10日). 2021年2月18日閲覧。
  3. ^ 宇野俊一ほか編『日本全史(ジャパン・エミルカ‘クロニック)』講談社、1991年、1095頁。ISBN 4-06-203994-X
  4. ^ コトバンク - 太宰治”. 2019年10月12日閲覧。
  5. ^ 野原 1998, p. 34.
  6. ^ 野原 1998, p. 35.
  7. ^ 野原 1998, p. 40.
  8. ^ 野原 1998, p. 44.
  9. ^ 野原 1998, p. 47.
  10. ^ 猪瀬 2000, p. 31.
  11. ^ 野原 1998, p. 51.
  12. ^ 猪瀬 2000, p. 50.
  13. ^ 猪瀬 2000, p. 60.
  14. ^ 読売新聞』夕刊2018年8月7日掲載「太宰が自殺未遂後療養、老舗旅館がレストランに」[リンク切れ](2018年8月9日閲覧)
  15. ^ 『読売新聞』朝刊2019年5月3日「太宰の宿 4年ぶり再開/宿泊再開 5時代続く」
  16. ^ 野原 1998, p. 62.
  17. ^ 猪瀬 2000, pp. 70–71.
  18. ^ a b c 『太宰治に出会った日』所収、平岡敏男「若き日の太宰治」39-40頁
  19. ^ 猪瀬 2000, p. 110.
  20. ^ 猪瀬 2000, p. 109.
  21. ^ 猪瀬 2000, p. 125.
  22. ^ 猪瀬 2000, p. 132.
  23. ^ 中畑慶吉の談話[要文献特定詳細情報]
  24. ^ 野原 1998, p. 89.
  25. ^ 猪瀬 2000, p. 135.
  26. ^ 猪瀬 2000, p. 136.
  27. ^ 猪瀬 2000, p. 199.
  28. ^ 野原 1998, p. 117.
  29. ^ 猪瀬 2000, p. 257.
  30. ^ 猪瀬 2000, pp. 258–259.
  31. ^ 猪瀬 2000, p. 263.
  32. ^ 猪瀬 2000, p. 266-269.
  33. ^ 猪瀬 2000, pp. 275–276.
  34. ^ 猪瀬 2000, pp. 284–290.
  35. ^ 「芥川賞を私にください」太宰の書簡、川端康成邸で発見『朝日新聞』1978年(昭和53年)5月14日朝刊、13版、23面
  36. ^ 猪瀬 2000, pp. 296–299.
  37. ^ 野原 1998, pp. 213–214.
  38. ^ 猪瀬 2000, p. 351.
  39. ^ きらら山口
  40. ^ 猪瀬 2000, pp. 395–396.
  41. ^ 野原 1998, pp. 366–367.
  42. ^ 猪瀬 2000, pp. 402–406.
  43. ^ 野原 1998, p. 420.
  44. ^ 猪瀬 2000, p. 451.
  45. ^ 猪瀬 2000, pp. 439–440.
  46. ^ 猪瀬 2000, pp. 455–456.
  47. ^ a b c 『太宰治に出会った日』82-83頁
  48. ^ 新潮』1998年7月号に原文資料掲載、『朝日新聞』1998年5月24日記事。
  49. ^ 『太宰治全集 第9巻』筑摩書房、1990年10月25日、474頁。解題(山内祥史)より。
  50. ^ 猪瀬 2000, pp. 54–55.
  51. ^ 猪瀬 2000, pp. 55–60.
  52. ^ 猪瀬 2000, pp. 67–71.
  53. ^ 猪瀬 2000, p. 92.
  54. ^ 野原 1998, p. 78-79.
  55. ^ 猪瀬 2000, pp. 185–190.
  56. ^ 猪瀬 2000, p. 198.
  57. ^ 野原 1998, p. 106-108.
  58. ^ a b 嵐山光三郎『文人悪食』マガジンハウス、1997年、356頁。
  59. ^ 服装に就いて 青空文庫(2021年1月1日閲覧)
  60. ^ 津島 1997, p. 20.
  61. ^ 嵐山光三郎『文人悪食』マガジンハウス、1997年、364頁。
  62. ^ 大本泉『作家のごちそう帖』(平凡社新書 2014年)pp.150-158
  63. ^ 津島 1997, pp. 80–81.
  64. ^ 津島 1997, p. 30.
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  70. ^ 2021年3月19日朝日新聞東京版「太宰が愛した跨線橋撤去か」
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  73. ^ 番組エピソード 文豪の世界への誘い〜大作家の作品のドラマ化〜 NHKアーカイブス(2021年1月1日閲覧)
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  78. ^ “韓国語版の太宰治全集 全10巻が完結”. 聯合ニュース. (2014年12月22日). http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2014/12/22/0400000000AJP20141222002600882.HTML 2015年4月28日閲覧。 
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  80. ^ a b 猪瀬直樹 (2000). ピカレスク 太宰治伝. 小学館. pp. 35-36 
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  95. ^ 文学施設の整備に向けた『基本的な考え方』をとりまとめました - 三鷹市ウェブサイト(2018年3月30日)
  96. ^ 太宰治文学サロン - 三鷹市(2020年10月4日閲覧)






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