大阪鐵工所時代とは? わかりやすく解説

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大阪鐵工所時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 03:13 UTC 版)

日立造船」の記事における「大阪鐵工所時代」の解説

1881年明治14年4月1日 - 大阪府西成郡六軒家新田安治川岸、現・大阪市此花区西九条)にて、イギリス人実業家E.H.ハンターにより、大阪鐵工所Osaka Iron Works)として創業個人経営)。 1882年明治15年)- 新造第1船として「初丸」を建造木造14総トン)。 1890年明治23年)- 日本初鋼船として、大阪商船向け貨客船「球麿川丸」を建造1900年明治33年4月 - 大阪市西区桜島町(現・此花区桜島)にて桜島工場操業開始1907年明治40年) - 日本初洋式捕鯨船第二捕鯨丸」を建造東京連絡所開設1908年明治41年) - 日本初タンカー虎丸」を建造スタンダード石油向け)。 1911年明治44年9月 - 因島船渠株式会社買収し因島工場とする。 1914年大正3年3月 - 株式会社大阪鐵工所設立大阪鐵工所事業一切継承する株式会社への改組)。代表者にはE.H.ハンターの子である範多龍太郎就任1920年大正9年12月 - 株式会社田原造船所から、築港工場買収する1924年大正13年6月 - 彦島船渠株式会社買収し彦島工場とする。 1927年昭和2年) - 堂島大橋大阪市)を建設1930年昭和5年) - 日本郵船向けに「平洋丸」、そして氷川丸貨客船平安丸」を建造1932年昭和7年) - 日本初カーフェリーとされる若戸渡船第八わかと丸」「第九わかと丸」(43総トン)を桜島工場建造1934年昭和9年1月28日 - 長生橋新潟県長岡市)の架替工事3代目現橋)が着工トラス橋躯体製作を担当5月29日 - 株式会社大阪鐵工所の全株式日本産業株式会社取得し株式会社日本産業大阪鐵工所設立資本金1,200万円)、株式会社大阪鐵工所の全事業継承。これが日立造船現法人存続会社としての設立となる。 7月1日 - 株式会社大阪鐵工所日本産業合併し解散8月1日 - 日本産業大阪鐵工所株式会社大阪鐵工所商号変更1936年昭和11年3月23日 - 日本産業保有する大阪鐵工所の全株式日立製作所取得し同社傘下に入る(日立グループ入り)。 1937年昭和12年10月12日 - 長生橋3代目)竣工当時東北北陸地方で最も長い道路橋であった

※この「大阪鐵工所時代」の解説は、「日立造船」の解説の一部です。
「大阪鐵工所時代」を含む「日立造船」の記事については、「日立造船」の概要を参照ください。

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