大阪鐵工所時代
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1881年(明治14年)4月1日 - 大阪府西成郡六軒家新田(安治川岸、現・大阪市此花区西九条)にて、イギリス人実業家・E.H.ハンターにより、大阪鐵工所(Osaka Iron Works)として創業(個人経営)。 1882年(明治15年)- 新造第1船として「初丸」を建造(木造14総トン)。 1890年(明治23年)- 日本初の鋼船として、大阪商船向け貨客船「球麿川丸」を建造。 1900年(明治33年)4月 - 大阪市西区桜島町(現・此花区桜島)にて桜島工場が操業開始。 1907年(明治40年) - 日本初の洋式捕鯨船「第二捕鯨丸」を建造。東京連絡所を開設。 1908年(明治41年) - 日本初のタンカー「虎丸」を建造(スタンダード石油向け)。 1911年(明治44年)9月 - 因島船渠株式会社を買収し、因島工場とする。 1914年(大正3年)3月 - 株式会社大阪鐵工所を設立、大阪鐵工所の事業一切を継承する(株式会社への改組)。代表者にはE.H.ハンターの子である範多龍太郎が就任。 1920年(大正9年)12月 - 株式会社田原造船所から、築港工場を買収する。 1924年(大正13年)6月 - 彦島船渠株式会社を買収し、彦島工場とする。 1927年(昭和2年) - 堂島大橋(大阪市)を建設。 1930年(昭和5年) - 日本郵船向けに「平洋丸」、そして氷川丸型貨客船「平安丸」を建造。 1932年(昭和7年) - 日本初のカーフェリーとされる若戸渡船「第八わかと丸」「第九わかと丸」(43総トン)を桜島工場で建造。 1934年(昭和9年)1月28日 - 長生橋(新潟県長岡市)の架替工事(3代目・現橋)が着工、トラス橋の躯体製作を担当。 5月29日 - 株式会社大阪鐵工所の全株式を日本産業株式会社が取得し、株式会社日本産業大阪鐵工所を設立(資本金1,200万円)、株式会社大阪鐵工所の全事業を継承。これが日立造船の現法人(存続会社)としての設立となる。 7月1日 - 株式会社大阪鐵工所は日本産業に合併し解散。 8月1日 - 日本産業大阪鐵工所が株式会社大阪鐵工所に商号変更。 1936年(昭和11年)3月23日 - 日本産業が保有する大阪鐵工所の全株式を日立製作所が取得し、同社の傘下に入る(日立グループ入り)。 1937年(昭和12年)10月12日 - 長生橋(3代目)が竣工。当時は東北・北陸地方で最も長い道路橋梁であった。
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