架替工事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 10:07 UTC 版)
「第三大川橋梁 (会津鉄道会津線)」の記事における「架替工事」の解説
橋梁の架替には高所でトラスの撤去と架設を短期間で行う必要があった。作業は間組(現安藤・間)の施工によって1979年8月から1980年11月まで行われ、1980年11月11日から同月30日までの間は上三寄駅と会津滝ノ原駅(現会津高原尾瀬口駅)の間はバス代行による運休となった。総工費は約4.6億円でうち上部工が約2.4億円、下部工が約2.2億円だった。トラス部分は大阪府堺市にある横河橋梁製作所大阪工場で製作された上で仮組みが行われた。仮組みの解体後に会津若松駅まで貨車で輸送してそこから架橋現場まではトラックで輸送された。現地では、上流側に河床から仮設の桟橋が組まれ、そこで作業が行われた。旧橋は当初移設転用が想定されていたが、移設費用や解体期間などが考慮された結果断念し、橋脚に損傷を与えないように仮設桟橋と反対の方向に落橋させて解体する事となった。落橋は1980年11月14日に行われ、その後に橋脚を改築、横取によって新橋が架設された。
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