大阪鉄道との競合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 08:36 UTC 版)
大阪・奈良南部には、同時期に大阪鉄道(通称大鉄。現・近鉄南大阪線系統の1067mm軌間各路線の前身。明治期に関西鉄道に合併され現JR関西本線の一部となった大阪鉄道とは別会社)が路線網を伸張し、吉野鉄道(現・近鉄吉野線)へ直通を目論んだ(1929年(昭和4年)に実現)。 大鉄線と大軌桜井・橿原線は並行路線でもあり、吉野鉄道との連絡輸送も絡んで熾烈な戦いが展開されたが、線路幅の関係で吉野に直通できないハンデをおして、大軌が吉野鉄道買収に成功した(大軌の既存路線は線路幅1435mmの標準軌、大鉄と吉野鉄道は1067mmの狭軌)。のちに大軌は、上ノ太子駅での重大衝突事故もあって経営が悪化していた大鉄をも傘下に収めるに至る。 なお吉野鉄道線と大鉄線との直通運転は、吉野鉄道が買収によって大軌吉野線となった後も、利用者の便宜を考慮して継続された。この運行は、近鉄成立後も継続されている。
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