大阪金属工業株式会社設立と住友金属との資本提携
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「山田晁」の記事における「大阪金属工業株式会社設立と住友金属との資本提携」の解説
1934年(昭和9年)2月11日今宮工場所在の大阪市西成区中開町2丁目8番地に「大阪金属工業株式会社」を創立し。代表取締役に山田晁、取締役に加藤剛介、岡村一夫、監査役に松田隆亮が就任し、この日を「創立の日」とした。資本金は25万円であった。1934年(昭和9年)7月には資本金を100万円に増資したが、このとき住友伸銅鋼管(後の住友金属工業 現日本製鐵)が49万5000円を出資し住友傘下となり、住友から明田重義を取締役として迎えた。 事業拡大とともに今宮工場も手狭となり、1935年(昭和10年)末、堺市の仁徳天皇陵南西の耳原町で堺工場の建設に着手し、冷凍機、信管、薬莢、注油器、ディーゼルエンジン用燃料ポンプ製造部門が順次移転し、1937年(昭和12年)2月、堺工場と命名した。さらに1941年(昭和16年)2月には、神崎川が淀川から分流する地点の三島郡味生村(現:摂津市)に淀川工場を航空機専門工場として開設し、1942年(昭和17年)8月からはフロン量産もここで行われた。
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