大統領の介入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 08:15 UTC 版)
武力による戦闘を防いで、その結果として起こる政治危機を逸らすための必死の試みで、合衆国大統領アンドリュー・ジャクソンは、司法長官ベンジャミン・バトラーに、境界紛争についての彼の法的な意見を求めた。当時、オハイオは連邦内で政治力を増していて、19名の合衆国下院議員と2名の上院議員がいた。 対照的に、いまだ準州であったミシガンは、1名の投票権のない代表者がいるだけだった。オハイオは大統領選挙において勝敗の決定的な鍵を握る州で、未熟な民主党にとってオハイオの選挙人投票を失う事は破滅的であっただろう。このために、ジャクソンは、彼の党の最良の利益は、トレド・ストリップをオハイオの一部とし続けることで役立つと計算した 。 ジャクソンがバトラーから受け取った答えは予期されないものだった。司法長官は、議会が指示しなければ、土地はまさしくミシガンに属すると主張した。これはジャクソンに、「戦争」の結果に大いに影響するであろう行動を取ることを彼に急がせた政治的ジレンマを与えた。 1835年4月3日、紛争を仲裁して両方の政府に妥協案を提示するために、ジャクソンはペンシルベニア選出のリチャード・ラッシュとメリーランド選出のベンジャミン・ハワードの2名の議員をワシントンD.C.からトレドに派遣した。4月7日に示された提案は、ハリス線を印につける再測量がミシガンによるさらなる中断なしで開始され、そして議会が決定的にこの問題を解決できるまで、影響を受ける地域の居住者は、彼ら自身の州もしくは準州の政府を選ぶ事ができることを勧めた。 ルーカスはこの提案にしぶしぶ同意し、議論に決着がつくことを信じて、彼の民兵を解除し始めた。3日後、地域における選挙がオハイオの法律のもとで行われた。しかし、メイソンはこの取引を拒否し、彼は起こりえる武力衝突のために準備をし続けた。 選挙中、オハイオの職員はミシガン当局によって悩ませられ、領域の居住者たちはもしオハイオの当局に従ったなら逮捕すると脅された。1835年4月8日、ミシガン準州モンロー郡の保安官がオハイオ支持のベンジャミン・スティックニー少佐の自宅を訪れた。ミシガン支持者とスティックニー家の最初の接触で、保安官は2名のオハイオ住民を、オハイオの選挙で投票したという理由で刑罰法に基づき逮捕した。
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