大統領に当選していたフランクリン・ピアースの息子の死
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「アンドーバー (マサチューセッツ州)」の記事における「大統領に当選していたフランクリン・ピアースの息子の死」の解説
1853年1月6日、大統領に当選していたフランクリン・ピアースとその妻ジェーンの息子ベンジャミン・"ベニー"・ピアース、11歳が、アンドーバーの列車事故で死んだ。ボストンからローレンスに向かっていたボストン・アンド・メイン急行が時速40マイル (64 km) で走行中に、車軸が折れた。フランクリン・ピアースも乗車していた唯一の客車が盛り土から落ちて2つに折れた。貨物車と機関車は線路に留まっていた。ピアースの息子が唯一死亡した乗客であったが、当初は父のピアースも致命傷を負ったと伝えられた。少年はほとんど首が落ちてしまう状態だった。ピアースはシートで息子を覆い、妻に見せないようにしたが、ジェーンも息子を見てしまった。夫妻はその後酷く落ち込み、ピアースの大統領職遂行に影響した。ピアースは重い打撲傷を負っただけだった。ピアースはそれ以前に2人の子供を失くしていた。その息子の死は夫妻に暗影を投じたと言われている。特にジェーンはホワイトハウスでもほとんど楽しむことがなく、死んだ子供達に宛てて手紙を書いて大半の時を過ごした。ジェーンは悲しみに沈んだまま1863年に死んだ。1857年にピアースがホワイトハウスを去った後、「残されたことは、飲むことと死ぬことだけだ」と言った。妻が死んでから6年後の1869年10月、ピアース自身も肝硬変で死んだ。
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