サボテン作戦とは? わかりやすく解説

1988年モルディブクーデター

(サボテン作戦 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 06:37 UTC 版)

1988年モルディブクーデターは、スリランカ在住のモルディブの実業家アブドゥラ・ルトゥフィがスリランカのタミル分離主義組織タミル・イーラム人民解放機構 (PLOTE) から武装兵を傭い入れて1988年11月3日に起こしたクーデターである。モルディブ大統領マウムーン・アブドル・ガユームの身柄を確保できなかったため未遂に終わった。当時モルディブは常備軍を保有しておらず、インド軍が介入して鎮圧した。インド軍の介入作戦のコードネームはオペレーション・カクタス (Operation Cactus、サボテン作戦) であった。




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サボテン作戦

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インドとモルディブの関係」の記事における「サボテン作戦」の解説

詳細は「1988年モルディブクーデター」を参照 1988年11月タミル・イーラム人民解放機構武装民兵80人を乗せた数隻の高速艇モルディブ上陸し同国浸透していた同盟者モルディブ立場から見れば内通者」)の手引きで政府転覆工作開始した陰謀スリランカタミル民兵グループ英語版)の一つよるものであったが、一般にモルディブ大統領マウムーン・アブドル・ガユーム長期執政反対する商工業者政治家たちが実権握ろうしたものであると信じられた。 上陸した武装民兵らは11月3日蜂起し首都マレ政府庁舎空港などを制圧したが、大統領身柄確保には失敗した退避成功した大統領インド軍事支援要請し当時インド共和国首相ラジーヴ・ガンディー直ちに1,600名のインド軍部隊派遣してモルディブ政府支援にあたらせた。この軍事作戦は、インド軍では「サボテン作戦」("Operation Cactus")のコードネーム呼ばれたインド軍援助要請から12時以内到着し、それから数時間のうちにクーデターを鎮圧してモルディブを完全な統制下に収めたタミル・イーラム人民解放機構民兵19人が殺害されインド1人負傷したインド介入は、アメリカソ連イギリスなど先進諸国や、ネパールバングラデシュといった近隣諸国から支持された。アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンは、インド作戦を「地域安定価値ある貢献をした」と評した報道によると、イギリス首相マーガレット・サッチャーは「インドがガユーム大統領とその政府救ったことを神に感謝する大統領救援に間に合うよう軍に招集をかけ、ここから派遣することは、わが国には不可能なことであった。」とコメントした一方でスリランカ全国紙は「南アジア小国が、現在進行している事態インド覇権拡大機会与えるものとして恐れていることは、無視されるきでない」という趣旨社説掲載している。 インド迅速かつ決定的な勝利モルディブ政府による統治回復は、両国により緊密な友好協力関係もたらすことにもなった。国家安全保障上の危機スリランカとの緊張激化通じモルディブインドとの二国間関係将来的安全保障資するものとしても捉えるようになった

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サボテン作戦

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1988年モルディブクーデター」の記事における「サボテン作戦」の解説

インド外交政策研究家レジャウル・カリム・ラスカーによると、インドの裏庭にあたるモルディブに対してインド先んじて外部勢力介入するような事態インド国益にとって有害であり、そのためインド政府直ち介入したのだという。 作戦1988年11月3日夜に開始された。インド陸軍のファルーク・ブルサラ准将率いる第50独立空挺旅団空挺連隊第6大隊および第17空挺野戦連隊砲兵)を乗せたインド空軍Il-76アグラ空軍基地出発し、2,000km離れたフルレ島マレ国際空港 (現在のヴェラナ国際空港) に向かったインド空挺部隊はガユーム大統領の介入要請からわずか9時間後にフルレ島到着したインド空挺部隊直ち空港確保し、船に分乗してマレ島上陸、ガユーム大統領救出した。さらに空挺部隊数時間のうちに首都支配権奪還した傭兵団一部貨物船シージャックしてスリランカ逃亡したが、逃げ遅れた傭兵直ち捕縛されモルディブ政府引き渡された。戦闘による死者19人で、そのほとんどが傭兵であったが、傭兵殺害され人質2名も含まれていた。インド海軍フリゲート「ゴーダーヴァリ」および「ベトワ」を投入してスリランカ沖に現れ貨物船捕捉し傭兵団身柄確保したインド軍正確な情報をもとに迅速に作戦遂行し短時間クーデターを鎮圧した。

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