1988年モルディブクーデター
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1988年モルディブクーデターは、スリランカ在住のモルディブの実業家アブドゥラ・ルトゥフィがスリランカのタミル分離主義組織タミル・イーラム人民解放機構 (PLOTE) から武装兵を傭い入れて1988年11月3日に起こしたクーデターである。モルディブ大統領マウムーン・アブドル・ガユームの身柄を確保できなかったため未遂に終わった。当時モルディブは常備軍を保有しておらず、インド軍が介入して鎮圧した。インド軍の介入作戦のコードネームはオペレーション・カクタス (Operation Cactus、サボテン作戦) であった。
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- ^ “This R-Day, get ready for Discovery channel's 'Battle Ops'”. The Hindu. (2018年1月25日) 2018年4月22日閲覧。
- 1 1988年モルディブクーデターとは
- 2 1988年モルディブクーデターの概要
- 3 映像化
サボテン作戦
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「インドとモルディブの関係」の記事における「サボテン作戦」の解説
詳細は「1988年モルディブクーデター」を参照 1988年11月、タミル・イーラム人民解放機構の武装民兵80人を乗せた数隻の高速艇がモルディブに上陸し、同国に浸透していた同盟者(モルディブの立場から見れば「内通者」)の手引きで政府の転覆工作を開始した。陰謀はスリランカのタミル民兵グループ(英語版)の一つによるものであったが、一般にはモルディブ大統領マウムーン・アブドル・ガユームの長期執政に反対する商工業者や政治家たちが実権を握ろうとしたものであると信じられた。 上陸した武装民兵らは11月3日に蜂起し、首都マレで政府庁舎や空港などを制圧したが、大統領の身柄確保には失敗した。退避に成功した大統領はインドに軍事支援を要請し、当時のインド共和国首相ラジーヴ・ガンディーは直ちに1,600名のインド軍部隊を派遣してモルディブ政府の支援にあたらせた。この軍事作戦は、インド軍では「サボテン作戦」("Operation Cactus")のコードネームで呼ばれた。インド軍は援助要請から12時間以内に到着し、それから数時間のうちにクーデターを鎮圧してモルディブを完全な統制下に収めた。タミル・イーラム人民解放機構の民兵19人が殺害され、インド兵1人が負傷した。 インドの介入は、アメリカ、ソ連、イギリスなどの先進諸国や、ネパールやバングラデシュといった近隣諸国から支持された。アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンは、インドの作戦を「地域の安定に価値ある貢献をした」と評した。報道によると、イギリス首相マーガレット・サッチャーは「インドがガユーム大統領とその政府を救ったことを神に感謝する。大統領の救援に間に合うよう軍に招集をかけ、ここから派遣することは、わが国には不可能なことであった。」とコメントした。一方で、スリランカの全国紙は「南アジアの小国が、現在進行している事態はインドに覇権拡大の機会を与えるものとして恐れていることは、無視されるべきでない」という趣旨の社説を掲載している。 インドの迅速かつ決定的な勝利とモルディブ政府による統治の回復は、両国により緊密な友好・協力関係をもたらすことにもなった。国家安全保障上の危機とスリランカとの緊張激化を通じ、モルディブはインドとの二国間関係を将来的な安全保障に資するものとしても捉えるようになった。
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サボテン作戦
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「1988年モルディブクーデター」の記事における「サボテン作戦」の解説
インドの外交政策研究家レジャウル・カリム・ラスカーによると、インドの裏庭にあたるモルディブに対して、インドに先んじて外部勢力が介入するような事態はインドの国益にとって有害であり、そのためインド政府は直ちに介入したのだという。 作戦は1988年11月3日夜に開始された。インド陸軍のファルーク・ブルサラ准将が率いる第50独立空挺旅団と空挺連隊第6大隊および第17空挺野戦連隊(砲兵)を乗せたインド空軍のIl-76がアグラ空軍基地を出発し、2,000km離れたフルレ島のマレ国際空港 (現在のヴェラナ国際空港) に向かった。インド空挺部隊はガユーム大統領の介入要請からわずか9時間後にフルレ島に到着した。 インド空挺部隊は直ちに空港を確保し、船に分乗してマレ島に上陸、ガユーム大統領を救出した。さらに空挺部隊は数時間のうちに首都の支配権を奪還した。傭兵団の一部は貨物船をシージャックしてスリランカに逃亡したが、逃げ遅れた傭兵は直ちに捕縛されてモルディブ政府に引き渡された。戦闘による死者は19人で、そのほとんどが傭兵であったが、傭兵に殺害された人質2名も含まれていた。インド海軍はフリゲート「ゴーダーヴァリ」および「ベトワ」を投入してスリランカ沖に現れた貨物船を捕捉し、傭兵団の身柄を確保した。インド軍は正確な情報をもとに迅速に作戦を遂行し、短時間でクーデターを鎮圧した。
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