大相撲関連
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立合いが合わなかったときは「すいません」と、集音マイクが拾うほどの声で謝るなど礼儀正しい。また勝利力士インタビューでは力士に似合わずはっきりとした語り口をみせた。 立合いでは、相手に突進する際に「ゲフッ」と唸り声をあげていた。 同じ四国出身で大学相撲でも同期の玉春日とは、小学校時代からお互いを見知っており、当時から話をしていたという。高校時代までは四国で「高知の山本(土佐ノ海)、伊予の松本(玉春日)」と並び称され、プロ入り後も互いに刺激しあった。土佐ノ海の断髪式では、玉春日、魁皇、武双山の3人が、同時代の戦友として同時に土俵に上がり、土佐ノ海の髷に鋏を入れるという一幕もあった。 2005年5月場所の10、11日目は二日続けて栃東、千代大海の両大関の立合いの変化を食ってしまった。プライベートでは土佐ノ海とは食事を共にする仲でもある千代大海は「一緒に飯を食う仲だけに、悪いことをしてしまった」と自身の相撲を複雑そうに振り返った。 2005年には、北海道などで、相撲健康体操の実演を行うなど、精力的な活動もしている。 1995年のパリ公演ではドゴール空港で火災が発生し化粧まわしなどが焼失。その影響で当時入幕したばかりの土佐ノ海は蒼樹山の締め込みで相撲をとるはめになった。 新入幕を果たした1995年7月場所から2004年5月場所までの9年間、前頭1桁(9枚目)以上の地位をずっと保っていた。2004年7月場所で初めて前頭2桁を経験した。 大関を除く三役(関脇、小結)在位20場所を達成した力士は、土佐ノ海で14人目だったが、土佐ノ海の33歳2ヶ月での20場所到達は、その中で最年長記録である。また、新関脇の場所から最後に関脇を務めた場所まで8年間に渡って関脇に復帰したが、これは安芸乃島の10年間に次いで歴代2位であり、長く一線級の力を保った。 学生相撲出身力士で幕内在位場所数、幕内通算出場回数ともに歴代10位以内に土佐ノ海と栃乃洋の2人が名を連ねていたことがあったが、その内幕内在位記録は両者とも破られた。土佐ノ海の記録は2012年7月場所に旭天鵬が幕内在位81場所目を迎えたことで歴代10位以内から外れ(現在は安美錦と並んで13位タイ)、栃乃洋の記録も2013年1月場所に若の里と雅山が同時に幕内82場所目を記録したことで12位に陥落する。現在学生相撲出身者で幕内在位10位以内に記録を残しているのは雅山ただ1人である。 同郷の高知出身の横山隆一の漫画「フクちゃん」の化粧まわしを使用していた。 1999年5月場所までは4勝16敗と貴ノ浪にカモにされていたが、それ以降の対戦成績では9勝9敗と差がなくなった(通算は13勝25敗)。 若の里には8勝19敗と大きく負け越している。若の里は武双山に8勝17敗と大きく負け越しているが、土佐ノ海は武双山には18勝17敗と勝ち越している。 栃東に16勝18敗、琴光喜に6勝7敗と負け越しているものの互角に戦っている。
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