塘沽協定、日中戦争とは? わかりやすく解説

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塘沽協定、日中戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/13 15:04 UTC 版)

熊斌」の記事における「塘沽協定、日中戦争」の解説

熊斌別影Who's Who in China 4th ed. (1931) 1927年民国16年)、馮玉祥国民革命軍正式に加入し第2集団軍に改組されると、熊斌第2集団軍総参議に任ぜられた。同年8月国民革命軍総部上将高級参謀転じ12月には湖北省政府委員兼ねている翌年2月国民政府軍委員会委員となり、3月には東北特別委員会委員兼ねた11月には軍政航空署長起用され1929年民国18年4月には中国航空公司副理事長にも就任している。1930年民国19年)の中原大戦では馮に従って蒋介石派として参戦し、前敵総司令部参謀長務めた。しかし中原大戦は反蒋派の敗北終わり、熊も下野した1931年民国20年2月熊斌国民政府文官参事として復帰し5月には国民政府参軍転じた1932年民国21年9月参謀本部総務庁庁長移り1933年民国22年)には同本部第2庁庁長兼任している。以後華北での対日折衝事務参画し、同年5月塘沽協定締結に際しては、軍事委員北平分会参議として中国側首席代表を務めたが(日本側の代表は関東軍参謀副長岡村寧次)、事実上分会会長何応欽意を受けての任務であった1935年民国24年4月、熊は参謀本部次長就任し1936年民国25年1月には陸軍中将銜を授与されている。 日中戦争抗日戦争)が勃発した1937年民国26年7月熊斌第3戦区参謀長任命された。翌年2月軍令部次長転じている。1939年民国28年6月軍事委員軍事新聞局長任命され12月には軍事委員会弁公庁主任代理兼任した1940年民国29年5月軍事委員西安公庁副主任となり、8月には主任代理務める。1941年民国30年6月陝西省政府主席就任し、同省軍管区司令防空司令保安司令なども兼任した1944年民国33年3月軍令部次長復任している。1945年民国34年5月中国国民党第6期中央監察委員候補選出された。

※この「塘沽協定、日中戦争」の解説は、「熊斌」の解説の一部です。
「塘沽協定、日中戦争」を含む「熊斌」の記事については、「熊斌」の概要を参照ください。

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