困窮と恐慌の様相
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 05:16 UTC 版)
農民を中心に経済不況が深刻化していたにも関わらず、租税は緩和されることなく徴収され続け、また、以前から日本本土に渡っていた出稼ぎ労働者が、不況、恐慌により故郷の島々に相次いで戻ったことも事態の悪化に拍車をかけた。 農家の困窮や食糧不足は深刻化し、救荒の頼みとしていたサツマイモは天候や水利要因などにより不作に陥るとたちまち払底し、小島嶼や離間僻地(沖縄本島では国頭など)を中心に、一時的には飢饉のような危機的状況に陥ることもあった。地下で塊根を生長させるサツマイモは悪天候に強いといえども、強烈な暴風雨や高潮による塩害などで根こそぎ被害を受けることもあった。また、不況から一家の支柱となる働き手がこぞって近隣の島々に出稼ぎに向かい、残された女性や子供達が未熟な技術で農業生産に当たったこともまた不作の一要因ともなった。窮地に追い込まれた農民は、常用としていたコメ・イモ類に代えてソテツを食糧としなければならない有り様となった。 ソテツの幹はデンプンを多量に含み、水さらしや発酵、乾燥などの丁寧な加工処理を行って有毒成分のサイカシンを除去すれば食用が可能になり、サツマイモが普及する以前は、当時の琉球王国や諸島嶼において、ソテツは重要な救荒植物として栽培が奨励されていた。しかし近代に入ると毒抜き加工の手間や毒そのものへの懸念から、ソテツは非常食として常用されなくなっており、かなりの日数を要する毒抜き加工に不慣れで、かつ目前の食糧欠乏で余裕がない住民が、正しい加工を経ないで摂取してしまったことで、中毒により死傷する事例が相次いで発生した。 このような食糧不足からソテツ中毒で死に至るほどの悲惨な経済的窮乏状況は「ソテツ地獄」と総称されるようになった。また「ナリ」と呼ばれるソテツの種子も有毒で、正しく毒抜き加工をしないで食べると同様の中毒を起こすことから「ナリ地獄」とも呼ばれた。 こうした状況下、特に1904年の7ヶ月続いた沖縄明治大干魃(「ナナチチヒャーイ」)を契機に、南西諸島、特に沖縄県では、近隣の大きな島や日本本土、当時の日本委任統治領である南洋群島、さらには当時の日本国外への集団移住が相次ぎ、小島嶼では住民全員が移住して無人島化することもあった。また糸満漁民のように遠洋漁業に積極的に乗り出す反面、糸満売りのような丁稚奉公制を遷延させる結果ともなった。
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