商品展開と地域活性化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 01:34 UTC 版)
「梶賀のあぶり」の記事における「商品展開と地域活性化」の解説
2006年(平成18年)時点では、すでに3軒の漁家が日本全国からの注文を受けて梶賀のあぶりを生産していた。しかし販売を行う漁家は減少していき、2010年(平成22年)には1軒のみとなった。 梶賀町を訪れた町外の人から梶賀のあぶりを商品化してみてはどうかという提案を受けて、2009年(平成21年)1月に梶賀婦人会が町外の人にも梶賀のあぶりを食べてもらおうと、ハラソ祭りの会場で販売したのが商品化の契機となった。販売前には「こんな小魚が売れるか」と否定的な見方の住民もいたが、それとは裏腹に用意した分(100食)はすぐに完売した。この成功を機に、梶賀のあぶりの商品展開を加速させた。まず日本国の助成金を獲得し、真空パック加工ができる機械を購入、地元住民が生産した梶賀のあぶりをパック詰めして、夢古道おわせで試験販売を開始した。試験販売初年度である2010年(平成22年)度の梶賀のあぶりの売り上げは約274万円であった。梶賀のあぶり作りが事業化するにつれて、それまで無料で入手できた原料の小さな魚に市場で値が付くようになり、魚価の低迷にあえぐ地域にとって希望を与えることになった。また梶賀町の女性にとっては、出荷作業などで収入が得られるようになり、雇用創出効果も生まれた。2012年(平成24年)4月27日にはFM三重で紹介され、夢輝のあが梶賀町を訪れてインタビューを行った。同年から真空パックのラベルが変更され、サクラでいぶしたものは赤色、カシでいぶしたものは茶色のラベルが貼られるようになり、区別できるようになった。また梶賀婦人会長が中心となって「梶賀町おこしの会」が同年に結成された。賞味期限は、真空パック詰めされたもので、冷蔵保存なら1か月、冷凍保存なら1年となった。 こうした住民の取り組みに対し、尾鷲市では市の特産品として梶賀のあぶりを紹介するようになり、尾鷲市の特産品を年4回発送する「尾鷲まるごとヤーヤ便」に詰める商品の1つに梶賀のあぶりを加えるとともに、販路拡大に向けて2016年(平成28年)春に着任する地域おこし協力隊を募集した。ここで協力隊員が男女1名ずつ採用され、女性協力隊員の尽力によって津市や伊勢市の土産物店、東京の築地(築地場外市場)や日本橋(三重テラス)でも新規取引が実現し、男性協力隊員によって梶賀のあぶりの商品パッケージのデザインが一新された。特に女性協力隊員は、これまで原価計算があいまいで仕入れ・生産量が不安定であることを問題視し、生産安定のために養殖ブリを使った商品を主軸とし、コンロを増設することで通年生産を可能とした。さらに真空パックを改良し冷蔵する必要のない常温保存可能商品や、1人で消費できるように少量の商品も開発した。 2016年(平成28年)秋に、男性協力隊員が築80年の空き家を発見し、これを改装して「網元ノ家」を開業した。同店は梶賀のあぶりを販売するだけでなく、定食も出すとともに、地域の交流拠点としても機能するようになった。毎週金曜日と土曜日に開店し、開店の際には網元ノ家に利用している古民家の家主が保管していた大漁旗を男性協力隊員が仕立てた「ブリのぼり」にして店頭に掲げる。特に男性協力隊員が考案した「あぶり釜飯」は客からの評価が高く、津市や名古屋市といった遠方からも人が訪れるようになった。こうした協力隊員の活動により、2016年(平成28年)度の売上高は681万円まで伸長した。なおこれらの一連の活動は、中小企業基盤整備機構・三重県・三重県内の金融機関の3者による基金の運用益を元手とする「みえ地域コミュニティ応援ファンド助成金」から補助を得ている。
※この「商品展開と地域活性化」の解説は、「梶賀のあぶり」の解説の一部です。
「商品展開と地域活性化」を含む「梶賀のあぶり」の記事については、「梶賀のあぶり」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から商品展開と地域活性化を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から商品展開と地域活性化を検索
- 商品展開と地域活性化のページへのリンク