商人道への開眼
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1956年(昭和31年)、商業界の主催によるゼミナールが箱根湯本で開催され、出席予定であった夫が都合が悪くなり、カツが代理で出席した。代理出席のためにさほど目的意識は無かったものの、このゼミで「店は客のためにある」との言葉が、カツの胸に大きく響いた。これまで懸命に働いていたものの、それは自分らの生活、子供たちの学費、店の拡張など、あくまで自分のら利益が目的であり、このゼミでの教えはカツへの衝撃となった。ゼミが終わる頃には、持参したノート2冊が真っ黒になるほど、カツは講義に熱中し、商人道へと開眼することになった。 カツはこのゼミで、福島のスーパーであるベニマルの人物と話す機会を持った。ベニマルが現金正札販売を行っていることを知り、八百半でもそれまでの掛け売りから、現金正札販売へ切り替えることを、家族らに進言した。家族は、従来の方法と全く異なる商法への転換に賛成しなかったが、ゼミ受講やベニマル見学を経て、カツに賛成した 八百半は1956年(昭和31年)に、現金正札販売でのデパートとして再出発を果たした。この日、カツは客たちから「こんなに安く買えて、どんなに助かるかわからない」「本当にありがとう」などの礼の言葉をもらい、大きな感激となった。また「店員は優しくて親切」との声もあった。良い商品を安く売ることは経営上の工夫で可能だが、親切は全店員が心を一つにしなければならないことであるため、カツにとっては、商品の質や値段を褒められる以上の喜びとなった。 1950年代末頃からは、自分の学んだ商人道を従業員たちにも説くため、新入社員の精神教育の専任となり、八百半の精神を皆に説いた。また従業員たちを大切にするため、1964年(昭和49年)には従業員寮を含む社屋が新設され、カツ自らが考慮した、栄養バランスに富んだ食事が提供された。 1973年(昭和48年)、八百半初の本格的ショッピングセンターである静岡県伊豆の三島店で、テナント店のレストランで赤痢菌が発見されて営業停止処分に遭い、三島店自体も営業停止処分となった。同年に夫が死去して葬儀を済ませたばかりであり、カツは涙をぬぐいつつ、患者たちへの謝罪のために、家々を回った。やがて保健所の許可が下り、三島店の営業を再開された。カツが恐る恐る店内を覗くと、食品売場は客であふれ、食品が飛ぶように売れていた。カツは客たちが八百半を信頼していることを確信し、この信頼に応える決意を新たにした。 働く女性への思いは、社員の雇用制度に色濃く反映されており、退職した女子社員の再雇用や、出産後に一定の給与を得ながら休める育児休業、育児時間に合わせて勤務時間を短縮できる育児短縮勤務を、業界でいち早く導入した。
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