唱歌遊戯・行進遊戯の時代
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「戸倉ハル」の記事における「唱歌遊戯・行進遊戯の時代」の解説
当時の『学校体操教授要目』では、ダンスは「唱歌遊戯及行進遊戯」として扱われ、体操の授業で採用されていた。この時期は、まず教材作りとして創作ダンスを生み出していた。最初の著書『唱歌遊戯』には、文部省唱歌のほか、『どこかで春が』や『シャボン玉』などの愛唱歌をダンスにしたものを14種類収録している。この本の中では、「歌詞の意味に沿った自然な動作を行わせる」という戸倉の基本的なダンス観が既に表れている。1931年(昭和6年)の『学校ダンス』では教材作りから一歩前進して教材の選択、教授上の注意と教授法、基本歩法など多岐に言及している。生徒の心身の発達を考慮すること、想像の余地を残して教授することなどの記述があり、大正自由教育の流れを汲んでいることが窺える。 戸倉が改正作業に参加した1936年(昭和11年)の教授要目では、「唱歌遊戯及行進遊戯」は基本練習、唱歌遊戯、行進遊戯の3つの領域に分けられ、基本練習では基本歩法・基本態勢・応用態勢、唱歌遊戯では『荒城の月』、『寧楽の都』などの日本の楽曲を使ったダンス、行進遊戯ではポルカセリーズ、カドリーユなどの西洋のダンスが採用された。この教授要目で初めて採用された基本練習は、邦正美による学校ダンス批判を受けて、その欠陥を補おうと戸倉が追加したものである。基本練習の導入により、それまでの静的・模倣的な表現術に躍動的・リズミカルな技術が加わり、表現の幅が拡大することになった。改正時、「体育ダンスは芸術か体育か?」という議論がなされたが、女子には鍛練的な教材はそれほど採用されなかった。バレエの手足の訓練を基礎に置いており、情操陶冶を目指す教材に特色がある。 小学校から高等女学校まで採用された「唱歌遊戯及行進遊戯」は他の体操科教材と異なり音楽を伴った運動であり、選択する楽曲は児童生徒の発達に応じて変えるべきとした。旋律の美しさを重視して選曲し、幼児・児童対象のダンスは軽快さや明るさを、生徒対象のダンスは哀調を帯びたものを用いることで発達の差を付けている。ダンス表現でも、幼児・児童のダンスより生徒のダンスの方が可動性が高められている。一方、「落葉の踊」などは内容を易しくすれば尋常小学校1年生でも教材として扱えるし、高度化すれば高等女学校での採用にも耐えうるとしている。
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