哲学者の回答
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 06:48 UTC 版)
通例、全能の逆説は、「全能者は《自分が持ち上げることのできない石》を作ることができるか」という問いとして表現される。この問いは次のように分析できる: ある存在は、《それ自身が持ち上げることのできない石》を作ることができるか、できないかのどちらかである。 もし、その存在が《それ自身が持ち上げることのできない石》を作ることができるならば、その存在は全能ではない。 もし、その存在が《それ自身が持ち上げることのできない石》を作ることができないならば、その存在は全能ではない。 これはもう一つの古典的逆説・抗うことのできない力の逆説を反映している。その逆説は「抗うことのできない力と、不動のものが出会ったらどうなるか」というものである。それに対する一つの回答はこうなる。もしある力が抗うことのできないものであるなら、定義からして真に不動のものは存在しない。逆に、不動のものが存在するならば、真に抗うことのできない力というものは存在しない。この扱いは基本的には正しいのだが、全能性の定義問題には役立たない。そればかりでなく、全能の逆説はもう一つの似通った哲学的問いに関連している。それはおじいさんの逆説である。全能性についての日常的な定義のなかにはしばしば時間旅行の能力が含まれている。では次のように問うたらどうだろう。「全能者が時間を遡り、自分自身の祖父を殺すことはできるのか。」 しかしながら、これは全能の逆説に対する論理的に十分な分析とはいえない。というのも、これは全能者に人間的な属性を負わせようとしているが、全能者は人間的な姿をとっているとは限らないからである (Wierenga)。 次のような要請によって逆説を解消しようという立場もありうる。即ち、全能性は、常に全てのことができることを必ずしも要求しない、という要請である。そうすれば、次のように理屈をつけられる その存在は、作った時点では持ち上げられない石を作ることができる。 しかし、その存在は全能であるから、その存在は後からいつでも、持ち上げられる程度に石を軽くすることができる。従って、その存在を全能であるというのは尚も合理的である。 これは本質的に、1960年の映画『風の遺産』en:Inherit the Wind の登場人物であるマシュー・ハリソン・ブレイディ (Matthew Harrison Brady) が信奉する観点と同じであり、ブレイディの観点は大雑把にいってウィリアム・ジェニングス・ブライアンに則っている。クライマックスシーンで「神は自然法則を好き勝手に変えられる」とブレイディは論ずる。石の重量を変更するということは、少なくともその石にかかわる重力の効果を変更するのと論理的に同値である。このような説明に対しては、次のように反論できるだろう。全能者は《自分にも重さを変えられないくらい不変な石》を作ることができるか。さらに、このような状況 — 後で石の重さを変えること — が全能者の要件として要請されるならば、全能者の自由意志を制限することになるのではないか、と。 J.L.マッキーは1955年の哲学誌 Mind に論文を発表し、全能性に二つの段階を設けて区別することで、全能の逆説を解消しようとした。第一段階の全能性(何かをするための無限の能力 unlimited power to act)、第二段階の全能性(ものが何かをするために持つべき能力を決定するための無限の能力 unlimited power to determine what powers to act things shall have)である。ある時点で両方の全能性を持つ存在は、自分自身の能力を制限し、それより後は片方の意味で全能であることをやめることもできるのであろう。 抗うことのできない力の逆説についての古典的な記述法は、近代物理学の文脈で見ると欠陥を持つことになる。というのも、進路が全く変わらない砲弾も、全く破壊されない防壁も、同様に無限大の慣性を持つことになり、《両者ともに》不可能である。しかしながらこれは物理の話であって、論理には直接関係するものではない。単に我々がこのような描写に慣れているので哲学の問題の例として選んでいるだけである。同様に、全能の逆説についての古典的な記述法 — 重すぎて全能なる創造者に持ち上げられない石 — はアリストテレス時代の科学を基盤にしている。天動説と平らな地面を前提にしているのである — 石をその惑星の表面に対してのみ「持ち上げ」うるのか? 更に、惑星の公転を考慮に入れれば、軌道の中心にある太陽に対し「常に」石は持ち上がっていると見なすこともできる。つまり、石挙上に関する言説の選択は貧弱であると近代物理学は示唆するわけである。だが、だからといって一般的な全能の逆説が「基礎から」無効化されたわけではない。思慮深いスティーヴン・ホーキングによる創造主と自然法則との関係についての考察に従い、古典的記述法を次のように直すことができるだろう: 全能者がアリストテレスの物理学に従う宇宙を創造する。 その宇宙で、全能者は自分自身が持ち上げられないほど重い石を作ることができるであろうか。 科学ライターのジェイムズ・グリック (en:James Gleick) は自身のリチャード・P・ファインマン伝の中で、原子の実在性に関し議論していた科学者が、全能の逆説に行き着いた様を記述している: 全能者 — この場合はキリスト教の神としていいだろう — は、神自身が分割することのできない原子を創造することができたのだろうか、と。
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