和歌山水力電気の事業展開
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「和歌山水力電気」の記事における「和歌山水力電気の事業展開」の解説
和歌山水力電気は水力発電を電源とした電気供給事業ならびに電気軌道事業を事業の両輪とした。水力発電については日高川に水利権を確保して会社設立2か月後の1905年7月、和歌山市内から南へ30キロメートル以上離れた日高郡川上村大字上越方(現・日高川町上越方)にて発電所を着工。木材流送との関係や工事の失敗もあり完成が10か月遅れるが、1907年(明治40年)9月14日、運転開始に漕ぎつけた。これが上越方発電所で、当初の発電所出力は1,000キロワット(500キロワット発電機2台)であった。発電所の完成により、電灯数は前年比で3倍近い1万灯に急拡大している。 発電所建設中の1906年(明治39年)3月、樺山の死去により島村安次郎が社長職を継ぐ。また同年12月、増資で資本金は105万円となった。この増資は発電所建設資金を調達するためで、当時日露戦争後の好況期であったため3倍の増資が可能であった。続いて電気軌道事業のため翌1907年10月に45万円の増資を決議したが、今度は戦後恐慌の発生で払込が困難となり、社債発行への方針転換を余儀なくされた。軌道線は2年後の1909年(明治42年)1月22日、市内の県庁前と郊外の和歌浦の間に開業。年内に北は和歌山市駅まで、南は新和歌浦・紀三井寺まで伸び、1911年(明治44年)から翌年にかけて紀三井寺から先へ黒江まで開業をみた。前後して1909年12月160万円への増資が実施され、次いで1912年(大正元年)12月の増資で資本金は320万円となった。 供給事業では、1911年に電灯数が2万灯を突破し、電動機用電力の供給も始まった。この段階での供給区域(未開業除く)は和歌山市とその周辺の海草郡湊村・野崎村・中之島村・宮村・岡町村・宮前村・雑賀村・和歌浦町・紀三井寺町であったが、翌1912年3月に未開業の粉河電灯から事業を買収して供給区域を拡大した。同社の供給区域は、和歌山市の東、那賀郡粉河町(現・紀の川市)である。その後大正時代に入ると供給成績はさらに拡大、1916年(大正5年)には電灯数は5万灯を、電力供給は3,000馬力を超えた。その間、上越方発電所は1912年2月と1914年10月に1台ずつ発電機が増設され、出力が1,500キロワットに増強されたほか、火力発電所も1912年に更新されている。 1917年(大正6年)6月、倍額増資により資本金は640万円となる。翌1918年(大正7年)には、1915年9月より日高郡船着村大字高津尾(現・日高川町高津尾)にて建設していた日高川の第二(高津尾)発電所が完成し、4月24日より運転を開始した。1,500キロワット発電機3台を備え、発電所出力は3,000キロワットであった。
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