和歌山水力電気の設立
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「和歌山水力電気」の記事における「和歌山水力電気の設立」の解説
和歌山電灯の事業を引き継ぐことになる和歌山水力電気は、鉄道敷設計画の流れの中から起業された会社である。 和歌山市周辺の鉄道事業計画は、日清戦争後の起業ブーム期に現れた。和歌山市と南の海草郡黒江町(現・海南市)を結ぶ鉄道建設を目指した「紀州鉄道」(1973年設立の紀州鉄道とは無関係)の計画がそれで、仮免許を得て1900年(明治33年)に会社設立まで進行した。しかしその後の事業進展はなく、社内対立の末に1904年(明治37年)に解散してしまう。一旦失敗に終わった紀州鉄道計画だが、会社解散に反対していた島村安次郎(市内の酒造業者)や津村重兵衛(和歌山米穀取引所理事長)らは、個別に和歌山・黒江間の電気軌道敷設を計画、資本金50万円の「和歌山電気鉄道株式会社」を発起して1904年12月14日付で軌道敷設特許を取得した。この発起人には、各地で電気事業にかかわる大阪の才賀藤吉も名を連ねている。 ただし軌道敷設特許を得たものの日露戦争のため軌道着工の2年延期命令が出されたため、さしあたり電気供給事業を起業する方針に転換された。その結果、1905年(明治38年)5月25日に和歌山水力電気株式会社の設立に至った。同社は本社を和歌山市畑屋敷松ヶ枝町6番地に設置。設立時の資本金は35万円であった。初代社長には元和歌山県職員で鉄道事業の経験もある樺山喜平次が就き、才賀と島村・津村・垂井清右衛門の4名が取締役を務める。設立後、和歌山電灯(当時資本金公称10万5000円・払込8万5000円)の事業を12万7000円にて買収することとなり、1905年6月17日付で事業譲受け認可を得た。次いで11月28日付で和歌山電気鉄道の軌道敷設特許譲受けの許可を得ている。
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