(旧)名古屋鉄道・名岐鉄道
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「名古屋鉄道」の記事における「(旧)名古屋鉄道・名岐鉄道」の解説
1921年(大正10年)6月13日 - 名古屋電気鉄道の全額出資 により、(旧)名古屋鉄道株式会社設立。 7月1日 - 名古屋電気鉄道から郡部線部門を譲受(資産の現物出資と郡部線を担当する社員の移籍)。 1923年(大正12年)11月1日 - 蘇東電気軌道(未開業)を合併。同社が保有していた免許線は名鉄の手で蘇東線として開業(のちの起線。現在廃止)。 1925年(大正14年)8月1日 - 1896年(明治29年)6月に設立され、現在の尾西線などを当時運営していた尾西鉄道の鉄道事業を譲受。 1927年(昭和2年)11月20日 - 昭和天皇が犬山行幸時に押切町 - 犬山橋間を往復乗車。 1928年(昭和3年)4月10日 - 岐阜へ直接向かう路線の延長を計画し、その第一歩となる名岐線の丸ノ内駅 - 西清洲駅(現・新清洲駅)間が開通し、押切町駅 - 新一宮駅(現・名鉄一宮駅)間が全通。 4月28日 - ライン遊園(現在の可児川駅)- 北陽館前で直営の乗合自動車の営業開始。日本ライン下りの送迎が目的の路線であった。 1929年(昭和4年)4月1日 - 現在の小牧線などの免許を保有していた城北電気鉄道、尾北鉄道の事業を譲受。 1930年(昭和5年)8月20日 - 1909年(明治42年)11月に設立され、廃止された岐阜市内線などを当時運営していた美濃電気軌道を合併。 9月5日 - 名古屋鉄道が名岐鉄道株式会社に社名変更。 1932年(昭和7年)10月8日 - 鉄道省(当時)高山線直通の温泉客用定員制列車「下呂行直通特急」(柳橋 - 下呂間)を運転開始(大戦末期に中止)。 1935年(昭和10年)3月28日 - 1924年(大正13年)4月に設立され、現在の各務原線を当時運営していた各務原鉄道を合併。 4月29日 - 木曽川橋梁の完成により名岐線の新一宮(現・名鉄一宮)- 笠松間が開通し、押切町 - 新岐阜(現・名鉄岐阜)間が全通。新製車のデボ800形電車を用いて、同区間を34分で結ぶ直通特急を設定。
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