日本ライン下り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 04:25 UTC 版)
日本ライン付近での遊覧船事業は、犬山鵜飼を1899年に再興させた鵜飼鎌三郎が、1914年に「犬山通船」を設立し、現在の可児市土田までの遊覧船事業「ライン上り」を開始したことに始まる。犬山通船による事業は土田までの交通の便が悪く短期間で廃業となり、その後1922年に高山本線古井駅の開業に合わせ「古井遊船」が設立され青柳橋から犬山城下までの運航を開始し「日本ライン下り」の端緒となった。また1924年には三宅徳三郎が土田の大脇湊から犬山城下までの運航を開始、1925年時点では土田側に45隻・対岸の坂祝側に25隻の舟が用意されていた。また1927年に太田遊船組合が設立されライン下り観光が本格化し、1929年には取組遊覧組合が坂祝町の行幸巌から土田までの運航を開始。 名古屋鉄道は1928年(昭和3年)4月28日、直営の乗合バスをライン遊園(現:可児川駅) - 北陽館前で営業開始した。これは日本ライン下りの送迎を目的とする路線であったが、この路線が現在の名鉄バスに連なる名古屋鉄道のバス事業の嚆矢となった。 1940年代には今渡ダム完成に伴い古井港からの発着が終了し、第二次世界大戦の影響で運行が中断された。戦後1947年には「美濃太田遊船」「日本ライン観光」が設立され、1948年より運行を再開。大脇湊からのコースは荒廃し、今渡に乗り場が開設され可児合の急流を組み込む形となり、1958年に美濃太田遊船と日本ライン観光が統合し「日本ライン遊覧船」を設立。その後、名古屋鉄道の子会社「日本ライン名鉄遊船」(後に日本ライン観光)の運営へ移行する。
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